町田さんは、お寺から中学、高校へ通い、大学まで進学しますが、折からの学園紛争もあり、挫折して中退します。町田さんは、禅寺生活二十年の後、今度は寺を飛び出し、アメリカ留学を決意します。幸運にもハーバード大学に縁を得て、研究生から一年後には正規の学生となり、やがて修士号を取り、続いてペンシルバニア大学で博士号も取得します。そして、ついに名門プリンストン大学の助教授の職を得て、学者として一人立ちしました。禅寺の雲水から転身して、アメリカの大学の教壇に立つ町田さんの人生の大きな転機でした。
町田: 話せば長い話でね(笑い)。まあ二十年お寺におって、まあ自分がやるべきことはもうやったんじゃないか、と。そういう気はしていたんですね。そして、もう一つはその時たまたま私が師事していたお師匠さんが急に亡くなってしまわれたんですよ。その時に、お寺に残るかどうかということを考えまして、まあこれを機会に出てしまおうと決意したんです。その原因が遠い昔にあったと思うんですね。一つは子どもの頃に教会に通っていたということもありますし、或いは若い時に鈴木大拙(だいせつ)さんの本をがむしゃらに読んだ時期がありまして、禅をもっと客観的にみて、国際的に広めていかなければいかんというような、そういう何か使命感みたいなのはずーっと感じていたんですよ。
―― 京都のお寺にいらっしゃりながら、心はもっと広いところに広がっていった。
町田: そうですね。禅寺では本を読んでいけないんですよ。
―― え! そうなんですか。
町田: そうなんですよ。
―― 私、初めて聞きました。
町田: 禅寺では。
―― 本を読んでいけない。
町田: ええ。カトリックの修道院では読書というのを非常に重視するんですが、禅の修行は「不立文字(ふりゅうもんじ)」文字を立てないという実践の宗教ですからね。理屈を覚えてはいけないということで、お寺には本も置いていないし、読書の時間もないし、そこで私は随分本に飢えたんですよ。勉強したいと思って。こっそり読んでいたことはあるんですよ(笑い)。こっそりと。よく見付かってピンタを張られたりしましたけれども。
―― じゃ、そういう禅─割りと仏教のことだけを考える。生活のことだけを考えることに対しても、反発みたいなのはおありだったんでしょうか。
町田: 勿論、それはありましたよ。やはり宗教家というのは社会との関わりを常にもっていかないかんし、私はもう禅の世界にドップリ浸っていたわけだけども、仏教も禅だけではないんですよね。いろんな伝統が仏教の中にある。それも知ってみたい、と。また仏教だけじゃなしに、ユダヤ教もあれば、キリスト教、イスラム教もあるんだ、と。そういうことも多少とも知ってみたいと気持が非常に強くありましたね。
―― で、アメリカのハーバード大学に留学をなさるということになるんですが─。
町田: いや、私がハーバードを希望したわけじゃなしに。
―― あ、そうなんですか。
町田: ええ。それは犬も歩けば棒に当たっただけで、偶然に行くことになっただけですよ。
―― それは何かご縁があって?
町田: 機会あるごとに、私は、「外国に留学したいんだ」と、ご縁のある方に話していたんですが、たまたまその時、京都大学の理学部に客員教授として来ておられたアメリカの非常に有名な数学者が、私と親しくして下さっておったものですから、その人が奔走して下さって、アメリカ中の大学に、「日本に非常に変わった若いお坊さんがいる。彼は留学を希望しているんで受け入れて貰えないか」という手紙を全米の主要な大学に出して下さったんですよ。非常に高名な数学者なんですけれども。たまたまその一通がハーバード大学の神学部の学部長の目に留まって、「そういう人がいるなら一度来てみてはどうか」ということになったんですよ(笑い)。
―― 英語はお出来になったんですか。
町田: 多少はね。当時六十年代、七十年代というのは、一種の禅ブームで、京都に非常に多くの外国人が禅の修行に来ていたんですよ。ですから、そういう関係で私も多少の英会話は出来たんですけれども、実際にアメリカの大学に行って、大学院の講義を受けて、物事がスラスラ理解出来るような英語力じゃなかったんですよ。これはもうほんとうに泣きました。言葉のバリアだけではないですよね。今までは実践実践、沈黙の世界にいたわけですね。何か師匠に訊いても、「理屈を言うな、黙ってろ」という世界でしょう。「生意気な」というようなことを言われますよね。今度は反対に、英語でキリスト教の神学とかを、非常に緻密に論理的に勉強して、しかもゼミで、教授に、「お前は何を考えているんだ」というようなことを言われて、何か言わないとダメなわけですよ。まったく反対の世界に入ったわけです。だから、その頃の私の狼狽(うろた)えというのは凄かったと思いますよ(笑い)。
―― いま私は笑ってお話を伺っておりますけれども、それはかなり厳しい。
町田: ええ。ここに円形脱毛症が出来ましたですよ。それまで頭剃ってツルツルしていたんですが、アメリカに渡ると多少髪の毛を伸ばしたもので、その禿げがえらい目立ったんですけど(笑い)。
―― よく話には、「夜も寝ずに図書館にアメリカの大学生は行くのだ」とか聞きますけれども、ほんとにそういう世界?
町田: そうですね。図書館は朝四時まで開いていますしね。
―― じゃ、禅の世界から今度は主にキリスト教の世界へと移っていかれた。
町田: ええ。私が入ったのはたまたま神学部─神の学部ですから、周りの学生さんは全部欧米人で、クリスチャンなわけです。全員じゃないですが、殆どがクリスチャンで、子どもの頃から聖書を読んで、一言一句覚えているわけですよ。聖書の解釈学という講義をとっても、教授が何を聞いても、パッと、「それは何章の何節にあります」というようなことを言って、それの分析を始めるわけですよ。こっちにとっては昔聖書を読んだことはあるけれども、そこまでものをよく理解出来ていないものですから、随分何か大学院生の中に幼稚園の子どもが一人ちょこんと坐って勉強しているような、そういうコンプレックスを長い間持っていましたよ。もう一つ困ったのは、日本から元禅僧の学生が来ているということで、随分あちこちに引っぱり出されたんですよ。珍しがられて、ラジオに出たり、教会でお説教したりね(笑い)。いろんな体験をさせて貰ったんですが。
―― お坊さんが教会へ行く?
町田: それはよくありましたですね。困ったのは、東洋の仏教僧だと、「仏教に関して、何でも知っている」と思われたわけですよ。ところが私がいたのは、日本の臨済宗という宗派だけですよ。他の仏教の勉強もしていない。唯識とか、いろいろあるわけですよ。いろんな質問が飛んできて、如何に自分が仏教に関しても無知であるかということを痛切に感じましたね。
―― でも、学問的なことだけでなくて、いろいろな発見がやっぱり町田さんの中ではおありだったでしょうね。そういう体験の繰り返しだ、と。
町田: 勿論、それまで衣を着て、衣の下は着物だったし、下駄とか、草履とか、そういう生活しか知らなかったものが、いきなり洋服を着て、髪の毛を伸ばし始めた。そして、私はアメリカに渡る直前に結婚もしていますから、いろんな意味で個人的な面でも劇的な変化があったわけですね。そして、非常に幸運なことに、ハーバード大学から全額の奨学金を頂くことになったんですよね。ですから、私はアメリカで学生を六年していますけれども、ずーっと奨学金を頂いているんですよ。非常にこれは恵まれていたと思うんです。ただ、学費をカバーしてくれるんであって、生活費は出ないんですね。そこで苦労しました。だから、今から思ってもゾッとするほどなんですけれども、先程申したように勉強に追われて追われて、ノイローゼになるぐらい追われているんだけれども、アルバイトをしなければいけない(笑い)。
―― どんなことをなさったんですか。
町田: だから初め英語があんまり出来なかったので、身体を張って出来るアルバイト、例えば、お金持ちの方のお家に行って、掃除をしたり、洗濯をしたり、運転手もしましたしね(笑い)。いろいろしましたよ。
―― しかし、自分のプライドとの闘いみたいなものも?
町田: もうプライドなんか持っておりませんよ。そういうものをかなぐり捨てて生きていくために必死でしたよ。何でもいいからお金になることはやるという。やがてもう少し英語が流暢になってきたら通訳をしたり、或いはテレビのCMの吹き替えとか、ああいうことをよくやりましたよ(笑い)。
―― 禅寺のお坊さんからは考えられない、転身と言いますか、何でもなさったんですね。
町田: そういう柔軟性が、ある意味では禅の修行からきたんじゃないかなあという気がしていますけれども。
―― それは何か通ずるところがあるんですか。
町田: そうですね。やっぱり禅というのは物事に拘りを持たずに、自由滑脱(かつだつ)に生きていくのがその精神ですからね。まさにその実践だったわけですね。
―― そうやってアメリカでいろんな体験をまたなさって、自分との闘いもあり、アメリカに行ったからこそ、アメリカを知ったからこそ分かった東洋の長所とか短所とかというのは、町田さんの中では?
町田: アジアの国々には、何か古代社会からずーっと流れてきているものですけれども、アニミズム的な発想があるんですよ。「すべての生命が繋がっている」というような、そういう見方が我々の世界観の根幹にあるように思います。ところが西洋の世界では、「神と人とか、信者と異教徒とか、或いは持てる者と持たざる者とか、そういう対象化の意識が強い」ように思いますね。何か一方では、アジアの方では、すべてが曖昧に繋がっているような、その曖昧性の故にまた表見力が弱いんですけれどもね。西洋の方は、物事を善と悪とかハッキリ、倫理観もハッキリしていますから、何が正しくて、何が間違っているとか、そういうふうに対象化して、思考構造が動いておると思うんですよ。ですから、論理的な思考法、論理的な表現法、そういうものを身に付けた人は確かに西洋の方に多い。そういう気付きは自分の中に生まれてきました。私の頭の中で、完全な二つの異なった価値観がぶつかり合いましたからね。そこで非常に苦しんだわけだけれども、反対に何か新しいものの見方というものを、確かに自分の中に生まれてきたような気がしています。