東京外国語大学教授 町田宗風
ききて 草柳隆三アナウンサー
―― 「法然を語る」の十回目です。今回は階層を越えて多くの人々を惹き付けた法然の魅力というのは一体どこにあったんだろうか、ということについてお話を進めてまいりますが、一つには、当然法然の教え、つまりひたすら念仏をすれば誰でも救われるのだ、という、あの簡潔さの教えもさることながら、法然の人となり、と言いますか、法然の人間的人格的な深まりといったものはどういうものであったのか。法然の魅力について、いつものように広島大学大学院教授の町田宗鳳さんにいろいろとお話を伺ってまいります。よろしくお願い致します。前回のおさらいをまた例によってちょっとしたいんですが、明恵(みょうえ)上人と法然ということで伺ったんですが、一見すると二人が対立をしているというふうな感じだったんですけれども、それだけではなくて、そこには共通したものがあったんだ、というお話だったですね。
町田: そうですね。法然と明恵という鎌倉時代を代表する二人の宗教家は、仏教の中でも見事なコントラストをなして、自力と他力、密教と顕教、あるいはインド仏教を理想とする上座(じょうざ)仏教と大乗佛教、いろんな意味でまったく違うお立場に立っておられて、その思想的衝突が『摧邪輪(ざいじゃりん)』という書物によって表現されたわけですけれども、体験面からみると、このお二人が生の座標軸と死の座標軸に立ちながら光の体験において収束されていった、と。光の体験というのは、何も法然と明恵に限らず、世界の宗教家が究極的に至る体験ではないか、というお話を前回さして頂いたんですね。
―― 今お話に出た『摧邪輪』というのは、明恵が徹底的にある時期その法然を攻撃した文章だったですね。
町田: そうですね。勿論法然さんの方には、反論の機会はなかったわけですけれども、あれは単に明恵の個人的な、感情的な批判というよりも、思想的衝突の書と、私は理解しております。
―― 法然と明恵なんですけれども、二人とも当然仏教改革者でもあったわけでしょう。
町田: そうですね。明恵さんの方は何しろインドの釈尊以来の原始仏教を理想として、そこに少しでも戻ること、それには戒律を厳しく守るという戒律主義のお立場に立たれたんですが、別な視点でみてみますと、私には、「街から山へ」「山から街へ」という考えがあるんですが、法然さんは比叡山で三十年という歳月をお過ごしになって、そこに一大決意をして四十三歳の時に山から街へ下られる。都の巷の中に入って行って、人の欲の渦の中でお念仏を説き始めた人ですね。これが革命的な動きだったわけです。当時は比叡山という仏教のメッカに居て、学問を修めて、修行もしっかりと積んで、そこで僧侶として出世していくというのが、おおよその当時の僧侶の常識だったのに、その山に長年留まっていたにも拘わらず、思い切って街に下りる、と。これで日本の仏教の新しい動きが出たわけですよ。それまでは貴族あるいは上級の武士を相手の仏教だったものが、民衆化されて非常に平明な教えに変わっていったわけですね。しかし明恵さんの場合は、あくまで街に下りずに山で純粋な宗教性を保つ、という姿勢を崩さなかった人だと思うんです。
―― 「民衆化されていった」ということは、教えの内容そのものが変わってきた、ということになりますか。
町田: そうですね。それまでの「顕密仏教」と言ったりするんですが、南都北嶺の仏教は非常に統合的な仏教で、あらゆる要素を包含していた。最近の言葉でいえば、ホリスティック(Holistic:「全体」「関連」「つながり」「バランス」といった意味をすべて包含した言葉として解釈されています)な仏教なんですね。そこからその一部を抽出(ちゅうしゅつ)してきて、
―― ホリスティックというのは統合された、という意味でしょうか。
町田: そう意味です。お念仏とか、御題目、坐禅とか、一つの方法論を引き出してきて、これをやれば悟りに至ることができます。救いに至ることができます、と。そういうことを言い始めたのが、いわゆる鎌倉仏教の祖師たちなんですね。筆頭に法然さんがおられるわけですが、その後に親鸞、道元、日蓮と、まあ綺羅星の如く偉大な思想家が出てきたわけですけれども、彼らはその統合的な仏教から選択型の仏教―これ一つやれば間違いないという。誰でも実践可能な仏教を生み出したわけですね。それが「山から街へ」という動きの中で出てきた仏教の新しい表現だと思います。
―― その新しい仏教がおおむね何百年間か、今日に続いているということですか。
町田: そうなんです。八百年続いておりますからね。今度は街に下りてしまったことの弊害が目についてきたわけですね。非常に世俗化してしまって、よく葬式仏教とか、いろんな形で批判されていますけれども、極端に日本の仏教が世俗化されて、私の考えの一つに「山のエロス」「都市のエロス」という考えがあるんですが、「山のエロス」というのは自然が持っている神秘性のことです。それまでの仏教は「山のエロス」の中で育まれていたわけですけれども、十三世紀鎌倉時代になって、その仏教が街に下りた。そうすると、「都市のエロス」の中で仏教が発展したわけです。「都市のエロス」というのは、人間の欲望が渦巻いている世界ですね。そこで日本の仏教はそれなりの特性を発揮したわけですね、鎌倉以降室町、江戸と。それはそれで良かったと思うんですが、この二十一世紀に至って、どうも日本の仏教は、「都市のエロス」に馴染みすぎたのではないか、と。ですからもう一度「街から山へ」という動きを出すことによって、日本の仏教は活力を回復するんではないか、と。そんな考えを持っているんですよ。で、人間的には、例えば法然さんと明恵さんを比べますと、法然の方がよほど円熟して、老練な人格をお持ちだと思うし、明恵さんの方は非常に万年青年のような非常に若々しい情熱を持っておられるんだけども、思想の流れでいきますと、この八百年という時間が経って、もう一度明恵さんのような思想を再評価すべき時期にきているんじゃないかな、と私は考えておりますけれども。
―― 現代の我々が、例えばこの二人に代表される人から学ぶべき点というのはどういうことが挙げられますか。
町田: 一言で言えば「愛」です。明恵さんのお言葉に非常に画期的な表現があるんですが、
愛心なきは、すなわち法器(ほうき)にあらざる人なり
(明恵上人)
町田: こういうことをおっしゃっているんですね。愛の心、愛情のない人は仏法を学ぶ資格がない、という意味なんですよ。あれだけ厳しき戒律をほぼ絶対視していた人が、愛ということに大変注目しておられまして、実際に明恵さんはたくさんのエピソードを持っておられますけれども、すべて愛に裏打ちされていたわけですね。仏教というのはどうも愛というものに対して否定的な見方をしてきた。それは執着の元である、と。男と女の関係のように、迷いの元になるから愛はいけない、というような教えを説いてきたように思うんだけども、果たしてそうなのか、ということを、私は疑問に思います。実際にチベットとか、ネパールに行ってみますと、仏教寺院には「歓喜仏(かんぎぶつ)」男女の仏が抱き合っているような、そのような仏様がたくさんございまして、仏画もございますけれども、それがお寺の本尊になっているわけですね、信仰の対象に。ですから決して本来仏教は、愛に対して否定的ではなかった、と思うんですよ。日本にきて無闇と「慈悲」という言葉が遣われるようになりましたけれども、私の捉え方では、「慈悲」というのは、いささか受身ではないか、と。それよりももっと積極的に、仏教徒たるものは「自然を愛す」とか、「人を愛す」「物を愛す」という前向きな姿勢を見せてもいいんじゃないかな、と。特に愛の下座行と言いますか、下座に下って、人に救いの手を差し伸べていくような、そういう姿勢を見せる必要があるんじゃないかな、と思います。
―― 法然はその点どうだったんですか。
町田: いや、法然さんには、四天王寺の境内で飢え苦しんでいる人に匙でお粥を食べさせている絵がございますけれども、まさにあれが法然さんが持っていた精神を象徴的に現していると思うんですね。ですから法然さんの念仏というのは、まさに心が飢えている人、心が病んでいる人、そういう人に匙でお粥を与えるような、そういう気持で同じ地平に立って、同じ目線でお念仏を説いておられたと思うんですよ。まさに愛の下座行をされた方だと思いますよ。
―― そういうふうに行動と結び付かないと、つまり行動と結び付いて初めて意味を持ってくるということなんでしょうね。
町田: そうですね。ですから四十三で黒谷(くろだに)を去って都に下りられたというのは、そういう決意を持っておられたと思うんですよ。現代的には、国際的にボランティア活動をしておられる大多数の方がクリスチャンなんですよ。そういう意味では、仏教徒が愛の下座行ということにおいて、もっと大いに反省してみる必要があるように思うんですね。
―― しかし、それにしても、教えの簡潔さだけでは勿論なくて、最初にちょっと触れたんですけれども、法然の人格的な深まりと言いますか、人間性というものが、当然それが多くの人を惹き付けたに違いない、と思うんですけれども、何かちょっと桁外れな感じがしますね、お話を伺っております、と。
町田: そうですね。英語で「human magnet」という言葉があるんですよ。「human magnet」というのは、「人間磁石」という意味ですね。ですから法然という人は、強烈な磁力を持って、あらゆる人を圧倒的に引き寄せる。何故かわからないわけですよ。人は理屈があって近づかれた、とは思われないですね。何か法然さんの近くに行くと、引き込まれるような魅力をお持ちだったと思うんですよ。それは今風に言えば、カリスマ(Charisma:超能力、大衆を心服させる非凡な才能)だったんですよ。大変強烈なカリスマをお持ちの人物だったと思いますよ。
―― カリスマ性と言いますと、いくらか否定的なというか、あまり積極的に肯定する意味合いとはちょっと別の意味合いも少しありそうな気がするんですけれども。
町田: そうですね。最近の風潮でちょっとカリスマに対して否定的ニュアンス(nuance)を感じますが、カリスマには、本来はギリシャ語で「神の賜物」という意味があるんですね。ですから、人間が努力して手に入れられるものではなくして、神から一方的に与えられる魅力のことなんですね。ですからそういう本来の神の賜物という意味で、法然さんは、神仏からそういう磁力を与えられておられたんじゃないかなと思います。法然さんのお弟子さんに明禅(みょうぜん)という、もともと天台宗のお坊さんで学僧だった方が、法然さんのことを『述懐抄(じゅっかいしょう)』というご本に表現していますので、それを見てみましょうか。
我朝(わがちょう)に浄土をすすめ、念仏を広むる人多しといえども、この上人(しょうにん)は信(しん)・謗(ぼう)ともに常の人に越えたり
(『述懐抄(じゅっかいしょう)』)
町田: 日本という国にも平安時代以来、御浄土のお話をして念仏を勧めてきた人―空也(くうや)上人とか、たくさん念仏聖(ひじり)がいたわけですけれども、法然上人ほど―「信(しん)・謗(ぼう)」というのは、積極的に評価と消極的評価という意味ですね―褒める人も多いけども、謗る人も多い、と。それが桁外れに多いと言っているわけですね。それほど存在感のあった人物なんですね。法然さんの伝記というのは、おそらく十五種類以上あるかと思うんですが。
―― それは相当多いわけですね。
町田: そうですね。日本の宗教家の中でもっとも多いわけですし、日本の仏教僧として一番多く文学作品に登場してくるわけですよ。『平家物語』『保元(ほうげん)物語』『吾妻鏡(あづまかがみ)』『源平盛衰記』と、もう代表的な中世の文学作品に登場してくるわけですから、如何に社会的にインパクトのあった人物か、ということが伺い知れるわけですよ。
―― しかもあらゆる階層を越えて、と言いますか、皇族、貴族から、その日の暮らしに困るような人たちまで、あらゆる所あらゆる人たちから、
町田: そうなんです。法然さんというのはほんとにとらわれのなかった人ですね。大体宗教家には、一般的に役割分担があるんですよ。大きな寺院の高い位に就いている僧侶は、天皇とか公家とか貴族、あるいは上級武士だけに接触するわけですね。そういう人を相手に仏教の話をする。あるいは反対に、ほとんど無名の僧で聖のように国から国へ旅をして一般庶民に法を説く人、と非常に綺麗な役割分担が日本の宗教史上もありますし、世界の宗教史上でもあるわけで、これは不文律と言いますか、お坊さんの立場によって相手にする人物の社会的階層が異なるわけですが、法然さんの場合は、そういうことが一切なくて、遊女とも会うし、いわゆる乞食というような方、そういう人とも会って、しかもほとんど上からの目線で語るようなことをせず、同じ人間として、同じだけの悲しみと絶望を抱える人間として話されている。私はここに法然さんのとてつもない人間的魅力を感じます。何か自分が悟っていて、相手に対して教え諭すというスタンスではなくて、自分も同じだけ暗いものを持っているんだ、と。どうしようもないものを持っている、その自分がお念仏によって阿弥陀の光に照らされた。この喜びをあなたも味わってみませんか、という、そういう姿勢でお話しておられるからね。
―― 例えば具体的にどういう人間関係があったのか、というのを少しお話頂けませんか。
町田: そうですね。先ず最初にパッと思い付くのは、平重衡(たいらのしげひら)(1157-1185)ですね。この人は『平家物語』にも出てくる大変壮絶な人生を生きた人ですけれども、清盛(きよもり)の五男として、次から次へと源平合戦に参加して、究極的には奈良の都に火を点けて、興福寺も東大寺も炎上(えんじょう)させてしまうわけですね。その後源氏に捕まって処刑されるわけですけれども、その刑場に曳かれて行く中途に、「自分には最後一つだけ願いがある」と、源氏の武士にいうわけです。それは何かというと、「法然様にひと目合わせてほしい」と。そういうことでさすが源氏も平家の大将ですから、重衡に法然に会う機会を与えるわけです。彼は法然さんに会った途端号泣しまして、「私のようにたった一つの善いこともしていない。善行も働いていない。こんなに貴い奈良の都に火を点けて大仏殿も焼いてしまった。このままでは地獄に堕ちて獄卒(ごくそつ)の拷問を受ける。どうしたらいいんですか」と。もうすぐ後に処刑が待っている。切羽詰まったところで法然さんに問い掛けるわけですね。その問い掛けを受けて、これは法然さんが凄いところだと思うんだけれども、すぐにパッとおっしゃるんじゃなしに、ずっと黙って聞いておられて、しばらく何もお答えにならなくて、法然さんは涙を流されたわけです。これは同じだけの悲しみ絶望を、法然さんが共感していたわけですよ。そのうえでおっしゃった言葉があります。
―― それがこれなんですが、
罪ふかければとて、卑下(ひげ)し給(たま)ふべからず、十悪五逆(じゅうあくごぎゃく)廻心(えしん)すれば往生をとぐ。功徳すくなければとて望(のぞみ)をたつべからず、一念十念の心を致せば来迎す。(中略)ただし往生の得否(とくふ)は信心の有無によるべし。ただふかく信じてゆめゆめ疑(うたがい)をなし給(たも)ふべからず。
(『平家物語』)
町田: 先ほどの沈黙の後、涙を流しながらおっしゃった言葉ですね。どれだけ自分の罪が深いとしても、それまでどれだけ多くの人を殺(あや)めてしまっても、そして尊いお寺に火を点けてしまっても、自分を卑下してはいけない、と。十悪五逆という大変な罪を犯されたわけだけども、ここで廻心(えしん)―本当に心から懺悔して、深い深い反省をしてお念仏をすれば、必ず徳がないとしても希望を捨てることはない、と。必ず一念十念の念仏で極楽浄土に生まれ変わることができますよ、と。それを疑ってはいけない。ですから往生するかどうかは信心次第である、と。そのことを深く確信して、疑いを持ってはいけない。だから法然さんにとっては、それまで何をしたか、ということよりも、今どれだけ深い懺悔の心を持っているか。それを一番重視されたと思うんですよ。人間の運命としては、為してはいけないような大きな罪を為してしまうことがある。しかしそれが起きてしまったら、それを悔やむんじゃなしに、今どういう心持ちでそれを受け止めるのか。それが大切だということをおっしゃっていると思うんですよ。もう一人熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)(1141-1208)という侍がいますよね。坂東(ばんどう)の武者として勇名を馳せた源頼朝の部下として源平の相次ぐ合戦に大活躍をした人物ですね。
―― 大武将ですよね。
町田: そうですね。彼が、十八歳の平敦盛(たいらのあつもり)ですが、自分の息子と同じ歳の敦盛を捕まえて、どうしても首を切らざるを得ない状況に追い込まれるわけですね。そして首を落とすわけですけども、その行為によってやはり非常に深い罪の意識にとらわれて、おそらく私は自分の手足を切り落とすぐらいのことをしないと罪を償いない、と。地獄に堕ちても針の筵に横たわるようなことになる、と。それほど深い懺悔の気持を持って法然さんのところに救いを求めてきたわけです。その時のお言葉もありますよね。
罪の軽重(きょうじゅう)をいわず、ただ念仏だにも申せば往生するなり、別の様(よう)なし。
(『熊谷次郎直実に示す御詞』)
町田: これも同じような趣旨ですけれども、罪の重さ軽さを問わない、と。ひたすら念仏すれば救われるんだから、他のことをあれこれ迷わないように、とおっしゃっているわけですね。ですから当時の武将というのは、天下太平となった江戸時代と違って、常に合戦に参画していたわけですね。ですから殺すか殺されるかという、そういう切羽詰まった状況に生きていたわけですね。仏教の教えも知っていますから、殺生はいけない、と。人を殺めることなんてとんでもないことである、と。そういうことは十分了解していたんだけども、職業として戦に出て人を殺めないことには、自分の立場がなくなるわけですね。戦場から逃げればお家断絶ですから、もうほんとに背水の陣で毎日生きていたわけです。そういう武将たちが、この場合重衡とか直実とか著名な侍のエピソードがこうして作品に描かれていますけども、もっともっと多くの侍が毎日のように法然さんの元に押しかけていたと思うんですよ。凄い葛藤を抱えて。その時にお答えになった言葉が、先ほどお見せしたようなお言葉だったわけですよ。あなたたちはもう侍で、それは辛いだろう、と。また彼らも、法然が武士の倅であった、と。武士の血を引いている。そういう意味で非常に共感していたと思うんですよ。話しやすかったわけですね。貴族出身の僧侶ではなくて、地方の武士の、しかも没落してしまった武家の嫡男だったわけですから、そういう方が立派なお坊さんになっておられる。だから教えを乞いに行こうという、そういう不思議な共感があったと思うんですよ。
―― 重衡の場合にしても、それから直実の場合にしても、今読んだ法然のメッセージがどんなふうに届いたんでしょかね。
町田: それは絶対絶命のところですから、絶望のどん底に堕ちているわけですから、最後の蜘蛛の糸のように垂れてきた救いのロープですから、必死の思いで掴んだんじゃないですか。真っ暗闇の絶望の闇の中に見えた一条の光だったと思うんですよ。だから二人ともそこまで絶望して深い懺悔の心を持っていたから、法然さんの言葉が骨身に沁みて、救われたんだと思いますよ。直実の場合はそれを執刑して、彼は後蓮生房(れんせいぼう)という立派なお坊さんになりますけれども、それはよほど彼らの骨身に沁みるような教えだったんでしょう。
―― その言葉が届いたというのは、その言葉を発した法然自身も、実は大変な暗闇をずっと抱え込んできた。だから人の暗闇がわかる、ということなんでしょうね。
町田: 法然にとっては、人間というのは絶対矛盾の存在であって、どうしようもないぐらいの絶望と無限の可能性を持った希望の存在という両方の目で見ているわけですよ。どういう希望かというと、誰もが必ず仏様に救われますよ、と。あなたの人生の資質を問いません、と。男であろうが女であろうが、位が高かろうが低かろうが関係ないです、と。間違いなく、十人が十人、百人なら百人、幸せになれます、と言っているわけですから、絶望と希望が共存しているわけですよ。法然の人間観において。それが私は彼のカリスマの本質にあると、そのように思っているんですよ。
―― そうした法然にとって、その後四国に配流(はいる)をされるという事件がありますよね。
町田: そうですね。
―― そのことというのは、どんなふうな影響があったんですかね。
町田: いや、それで法然さんの民衆的な教えが実態化してくるわけですよ。それまでは都にいてお公家さんとか洛内にいる人に話していたんだけども、京の都を出て地方のお百姓さんとか漁師とか、いろんな職業に就いている人に会うわけですよ。ですから法然さんの専修念仏というのが、文字通り民衆的な教えとして定着していくのには、どうしてもそれは経なければいけないプロセスだったと思うんですよ。
―― その時だけど、法然は七十をとうに過ぎていたわけでしょう。
町田: そうですね。七十五歳ですね。でも彼は非常に常に楽観的な人で全然悲観していないですよ。この辺が法然さんの心の強さなんですよ。
―― じゃ、その時の法然の言葉を読んでみたいと思うんです。
洛陽(らくよう)の月卿雲客(げっけいうんかく)の帰依(きえ)は年(とし)久敷(ひさし)く、辺鄙(へんぴ)の田夫野人(でんぷやじん)の化導(けどう)は日浅(ひあさ)し、是(こ)れ即ち年来(としごろ)の本懐なりしか共(とも)、時いまだいたらざれば、思いながら年月を送る所に、此(こ)の時年来(としごろ)の本意を遂げぬる事併(しか)しながら朝恩(ちょうおん)なり。
(『讃岐在国(ざいこく)の間、門弟に示されける御詞』)
町田: 要点だけ申しますと、都の月や雲のように位の高い人には今まで教えを説く機会はあった。しかし辺鄙な辺境の地におられる人にお話をする機会がほとんどなかった。だけど今回懲罰を受けることによって島に流される。これは非常に有り難いことである。そういう人たちにやっと出会える機会が与えられた。朝恩だ。天皇さなのお陰だ、と。処罰されて七十五歳で最果ての地に流されるという時に、「朝恩」という言葉を遣っているのがとっても面白いですね。法然さんはスポンサーとして九条兼実(くじょうかねざね)(1149-1207)という人が居て、この人も摂政関白(せっしょうかんぱく)までして位を極めた人ですけれども、このことに非常に悲観されて、法然が流罪に遭った一月後に亡くなってしまうわけですけれども、兼実も法然さんの魅力にほんとに心酔していた人で、この人は繰り返し自分の殿中に法然を招き入れているんですね。当時都の貴族の館に黒衣の僧は入れてはいけない。ましては御所には入れてはいけない。
―― 街へ出てしまったから?
町田: いや、黒衣の僧というのは非常に位が低い。私度僧(しどそう)と言って正式なお坊さんではないわけです。そういう人間を御所の中に入れるとか、あるいは貴族の館に入れるということは御法度(ごはっと)だったわけですけれども、そういうことを関係なく、兼実は法然さんを頻繁に招いたわけです。それは兼実の『玉葉(ぎょくよう)』という日記に、法然さんについて、
その験(げん)あり、もっとも貴ぶべし、貴ぶべし
(『玉葉』)
町田: と。彼のお念仏には、人を癒す力がある。病気すら癒す力がある、というようなことをおっしゃって、そしてどうも兼実は常に法然さんに金色の光明というものを見ていたらしくって、自分の館に入って来られると、常に裸足で出迎えたという位、それほど心酔していたわけです。その法然が七十五歳という高齢で四国に流される。その時に大変ショックを受けられたんでしょうね。間もなく亡くなってしまわれるわけですけれども、法然さんご自身はそれほど悲観しておらず、先ほど出てきたように「朝恩」という言葉まで遣って、非常に前向きに都を離れることを受け止めておられるわけですよ。
―― 法然という人は、どうしてそういう境涯になり得たんでしょうか。
町田: 私は心理学的に分析すると、法然は両性具有(りょうせいぐゆう)の人と考えているわけです。これはちょっと珍しい言葉ですけれども、男性性と女性性、それを非常にバランスよく自分の中で統合した人格をお持ちになった。そこに至られたわけですね。心理学でいうと、アニムスというのが、女性の中にある男性性(女性の深層に潜む男性性)―アニマというのが、男性の中にある女性性(男性の深層に潜む女性性)のことなんですけれども、我々男性は必ずアニマを持っているわけです。自分たちの人間性の本質的な部分に女性性を持っている。それを如何に成長させて、自分の男性性と統合していくか。それに我々の人格がどこまでバランスの取れた円熟したものになるか決まってくるわけですけれども、法然さんというのはこのアニムスとアニマを非常にバランスよく統合した人格を獲得しておられたと思うんですよ。それはやはり実際の人生、生涯にわたって凄まじい苦労をされた、逆境の中で生きてこられたわけですから、そういうプロセスを経て、自分の中にある非常に優しい女性性というものを表に出す機会を得られたと思うんです。一つは、私はお念仏には、人間の母性を育てるそういう語感があると思っているんですね。言葉にはすべて語感がありますから、どういう言葉を平生遣うかによって、私たちのパーソナリティも変わってきます。非常に厳しく冷たく薄情な言葉を遣っていれば、私たちのパーソナリティもそうなりますし、反対にとっても優しくて、愛が深くて柔らかい言葉を遣っていたら、私たちのパーソナリティもそうなりますが、どうやらお念仏にはそういう人間の中にある母性を育てる、そういう響きがあるような気がしているんです。勿論すべての宗教の真言(しんごん)・マントラには何らかの心理的作用があると思っているんです。ですから現代人もいわゆるアイデンティティー・クライシスと言いますか、自分というものを確立できていない人間が非常に多いわけです。これは年齢に関係ない、学歴にも関係ない。今はある意味では混沌とした方向性のない社会状況ですから、昔のように宗教とか道徳とか、そういうものがはっきりしていない。価値観喪失の時代に生きている私たち現代人は、どうしてもアイデンティティー・クライシス―自己喪失と言ってもいいですね―そういう心境に生きているわけですけれども、法然さんをお手本として、両性具有的な人間に、いくつになっても成長していく。そういう必要があるんじゃないか、と私は考えているんです。先ほど、「アニムス」「アニマ」という言葉を遣いましたが、例えば我々男性がアニマを十分に内面的に成長させていないと非常に男性的で威張るようなタイプの、空威張りするような虚勢を張るというか、そういう人格を作りやすい。反対に女性が十分にアニムスという男性性を自分の中に育てていないと、いつまでも他者に依存するような、そういう人格を作ってしまうんですね。ですからどういう立場にいても、いくつであっても、この両性具有というのは心理学的に一つのキーワードになるように、私は考えています。
―― 法然にはそれがあったということなんでしょうけれども、それはやはり今までずっとお話を伺ってきますと、法然はまったく子どもの頃に大変な経験をして、そのことから始まって、どういうふうな生い立ちの中で、アニムス、あるいはアニマが育ったのかということにも随分影響されるというか、そのことともの凄く関係がありそうですね。
町田: そうですね。九歳まではご両親の愛情をふんだんに受けておられるわけですからね。この番組の最初の方に言ったエリクソンの基本的信頼という、そういう人格のコアがしっかりできていたわけだから、九歳以降にお寺で凄まじい体験をされる。いじめもあったと思いますし、自分の家も消滅していくわけだし、時代も乱世で死が溢れている時代ですよ。そういう時人生のトンネルを潜ってこられるわけですけれども、最終的にはこうして非常にバランスの取れたお人柄を獲得される。私は法然さんにお会いしたら非常に人間性豊かで、人間理解の深い良い意味でのおばさん的なお人じゃなかったか、と。誰もが安心して寄り掛かっていけるような、そういうお人柄をお持ちじゃなかったかと思うんですよ。
―― 寄り掛かっていけばこう包み込んでもらえるという、そんな感じですね。
町田: そうそう。何か恐いおじさんというよりも、恐い先生というよりも、もう優しいやさしい愛の深いおばさまのように、誰が来ても抱きかかえてあげるような、そういう境地にまで到達しておられたんじゃないかなと思うんですよ。このことに関連して、ちょっとまた方向性が変わるんですが、何度か引き合いに出しているカール・ユングという心理学者に四位一体(よんみいったい)という大変重要な概念があるんですよ。それをちょっとご説明してみたいと思うんですが、この図を見ながらお話をさして頂きますと、上の三角形は「神」と「イエス」と「精霊」と書いていますけれども、普通は「父」と「子」と「精霊」、これがキリスト教の三位一体(さんみいったい)です。キリスト教信仰の根幹にある考えです。神とイエスが一体である。そしてしかもそこには精霊も入っているという、分けられない関係があるというのが上の三角形なんです。ところがユングはこのキリスト教の伝統的な考えに異議を申し立てまして、「そうではないだろう、と。サタンはどこにあるんだ、と。サタンの居場所がない。サタンは必ず人間の心にある筈だから、それをキリスト教の信仰の中でも阻害してはいけない、と。神は完璧な存在ではない。神は完全な存在である」と。
町田: これは英語で言えば、パーフェクション(perfection)とコンプリージョン(completion)の違いがあるわけですけど、完璧と完全が違うわけですね。神は十全なる存在だから自らのうちに悪を持っているはずだ、と。だから神は素晴らしいんだ、と。なのにサタンを外においてはいけない。阻害してはいけない。聖書を読むと、悪魔を抹殺するような、阻害するようなお話がたくさんあるわけですけれども、あれはおかしいんじゃないか、と。キリスト教は四位一体であるべきだ、ということを、彼は臨床の心理学者ですから、不断に患者さんに会っているわけです。いろんな深い心の病、バランスを崩している人に会って、その原因がどこにあるかというと、無意識を抑圧している。無意識あるいは遮断している、と。そういうところに原因がある、と。どういう人間であろうが、どれだけ品行方正であろうが、必ず心の奥底には悪魔的なもの、サタンというものが居座っていて、それは仏教でいう阿頼耶識(あらやしき)のことなんですが、煩悩のことなんですが、それを自分の人格にうまく救いあげてきて、意識と統合させないと、精神の健全性というのは回復しないという。臨床心理学者としての体験からこういう直感を得たわけですよ。ですからキリスト教の信仰においても、三位一体でなくて、四位一体という考えにならないと、他者を赦すとか、異教徒を赦すとか、そういう世界観は持ち得ないと、彼は言うわけですね。もう一度その図を見てみますと、下の三角形にある悪は―サタンですが、それは法然さんとか親鸞さんとかが、普段におっしゃっている悪人のことなんですよ。悪人というのは何か盗みを働く者、嘘を付く者、人を殺める者を悪人と言ったんではなくて、道徳的な意味ではないんですよ。我々すべての人間が自らの中に悪を抱え込んでいるわけですよ。だからそれを自覚した人間、それを悪人とおっしゃっているんですよ。
―― 何回目かのお話の中にありましたけれども、親鸞の言葉を引かれて、「私の自分の心の中には蛇蠍(だかつ)が住んでいるんだ」と。「蛇蠍(だかつ)の如く」と、あれですね。
町田: そうです。蛇や蠍(さそり)のような心が私にある、と。それは親鸞さんの非常にシビアな自己反省ですよ。これがまさに悪人なんですよ。何か道徳的に、倫理的に間違った人間を悪人と呼んでおられるんじゃなくて、そのことに気付いた深い自覚を得た人間、そういう人を悪人と呼んでおられるんで、そのように理解したら、「善人尚ほ以て往生す。況(いわ)んや悪人をや」と。悪人正機説(あくにんしょうきせつ)ですね。これは法然さんが最初におっしゃった言葉だけども、この理解ができると思うんですよ。まだ自分が善人だと思っている人は、上の三角形しか見ていないわけですね、三位一体のところ。自分は道徳的にも正しいことしかしていない、と。人には優しい、親切である、と。それは自己理解の半分ですよ。たまたま運良く上の部分しか出ていないわけで、人間は何かの拍子に殺人すら犯しかねない危うい存在である。それを気付いておられたのが、昔からおられる悟った宗教家の見解なんですよ。法然、親鸞を含めですね。ですから先ほどの重衡とか直実の話もありましたけれども、もう一人ご紹介するのは阿波介(あわのすけ)という人です。阿波介(あわのすけ)は京都の伏見に住んでいた陰陽師(おんみょうじ)―占いをするような人ですが、この人は相当売れっ子の占い師だったんでしょう。七人の奥さんを持っていて、大きな屋敷に住んで、まあ酒に溺れて大変世間の顰蹙(ひんしゅく)を買うような人だったそうです。実際におられたんでしょうね。その人の次に、ヒューマン・マグネット―人間磁石である法然に引き寄せられてくるわけですよ。そして自分の罪の深さ―先ほどの四位一体の底にあるサタンに気付くわけですよ。そしてやはり同じように法然さんから過去は問うな、と。今懺悔せよ、と。そして一心に念仏したら極楽往生間違いなし、ということを言われて、彼も出家するわけですよ。これは非常に面白いことですよ。世の中にはやたらとプライドが高いとか、自分は正しく清らかな人間であると思っている人もいるわけですけれども、そういう人にはなかなか救いのチャンスがめぐってこないわけで、重衡とか直実とか阿波介(あわのすけ)とか人間の悪を見尽くした人、こういう人こそ神・仏に一番近い位置にいる、と言えるというんですよ。
―― しかしその入口というか、その方向だけでないと、法然の言っている救いというのはないんですか。
町田: そうですね。宗教というのは、一旦はどういう形にせよ、絶望というものを味合わないとなかなかわからないですね。理屈で終わってしまう。例えば法然さんに、
学生骨(がくしょうこつ)になりて念仏やうしなはんずらむ
(『つねに仰せられける御詞』)
町田: こういうお言葉があるんですが、これはどういうことか。「学生(がくしょう)」というのは、研究者と言ってもいいんですが、学者のような理屈を言っているうちは念仏はできないぞ、ということです。念仏と言わなくてもいいけれども、理屈くさいことを言ってうちは宗教はわからない、と。自分に絶望しなさい、と。世の中に絶望しなさい、と。そうでないと神の光には遭遇しませんよ、ということをおっしゃっているわけです。この「学生骨(がくしょうこつ)になりて念仏やうしなはんずらむ」というのは、現代人に向けた一つの警句だと思うんですが、我々本当に情報過多で理屈くさくなっている。いろんなことは知っているんだけども、なかなか自分を省みると、そういう面においては非常に幼いじゃないですか。
―― 法然があれだけ言われているように、多くの人を惹き付けた魅力というのは、法然が持っていたカリスマ性によるものだ、というお話がありましたですね。今のお話と結び付けて考えると、つまり自分の中の暗闇といったものを、ほんとに意識をしないと、多分きっと法然のカリスマ性―人間的な魅力というものも、当然中途半端なものに終わってのかもわかりませんけれども、つまり自分の中の暗闇を意識すればするほど、それは人の絶望的な境涯というか、人の暗闇もわかるということなんですか。
町田: そうですね。自分の悲しみを持たない者が人の悲しみというのはわからない。ただ自分の闇を気付くというのは、何か瞑想でもして気付くわけじゃないんですよ。人間は愚かですから。どういうことで気付くかというと、現実の失敗から学ぶわけですよ。失恋をしたとか、離婚をしたとか、病気をしたとか、事故に遭ったとか、借金をした、倒産をした、親しい人が亡くなってしまった。いろんな不幸があるじゃないですか、この世には。そういうことをきっかけで自分の中の闇に気付いていくわけです。だから最初は外の現象として必ず起きます。いきなり自分の中の闇を見つめられる人はほとんどいないんですね。親鸞さんみたいな人はできるかも知らないけれども、我々凡人は。普通は人生の痛みを覚えるような、そういう出来事に遭遇することによって、自分の中のサタンというものに気付いてくるわけです。ですから今、例えばいろいろ大変なことに遭っている方も多いと思うんですが、それは決して悲観的に捉えるべきではなくて、自分を省みる絶好のチャンスである、と。それによって自分、あるいは人間というものに対する理解を一気に深める最高のチャンスでもあるわけですから、今自分の周りに起きている現状にあまり振り回されなくて、それをしっかり見つめて、自分の心を射抜くぐらい見つめていくことによって百八十度展開する。いつか引用したマイスター・エックハルト(中世ドイツのキリスト教神学者、神秘主義者:1260-1328)の言葉に、「光は暗きを照らす」という言葉がありましたよね。中世ドイツの神秘主義者の言葉ですが、まさに私たちが人生に失望し、自分に絶望した瞬間に光がおとずれるわけです。その光がどこからおとずれるか知りませんけれども。ですから法然さんが、例えば造悪無礙(ぞうあくむげ)とか、そういうことをおっしゃっているのは、本当に自分の悪人ぶりを自覚したら、その悪に妨げられないぐらいの圧倒的な強い光が差してくる、と。まあ彼の場合は、お念仏を機縁として阿弥陀の光が尽十方に差してくる、と。そういう表現をとられたわけですが、これは古今東西普遍の真理だ、と私は思っています。
―― そして法然の念仏の教えということに関連して言えば、こんなふうなことをおっしゃっているんじゃなりませんか。「どうしても悪事を犯してしまうからこそ念仏を称えるんだ」と。
町田: そうでしたね。
―― この言葉も法然の非常に言いたいことの、いわばコアでしょう。
町田: そうなんです。そのお言葉がございますので見てみましょうか。
―― これなんですが、
悪を造る身なるが故に念仏を申すなり。悪を造らん料(りょう)に念仏申すにはあらずと心得(う)べきなり。
(『三心料簡(さんじんりょうけん)および御法語(ごほうご)』)
町田: 私たちがうっかり悪を犯してしまうような危うい存在だから念仏をするんです、と。念仏には救いの力があるから悪事を働いてもよいというような、そういうわけじゃないですよね。いつかありましたね。小さな罪をもおそれなさい、と。念仏は絶対的な、圧倒的な救済力を持っているけれども、それを宛にして悪事を働くようなことは、これっぽっちもしてはいけませんと、繰り返し警告しておられる。そのように誤解する者が多かったわけですね。ですから人間の存在も危ういんですが、宗教もほんとに危ういものです。一歩間違ったら人をミスリードというか、あらぬ方向に引っ張ってしまいますからね。先ほど引用した法然さんのお言葉は、何度も繰り返して味わっていく必要があります。そうでないと、とんでもない勘違いをして、信仰を持つが故に自分の人生を過つ、と。そういうことも往々にしてあり得ることなんですね。
―― 法然の魅力ということについてお話を伺いました。ほんとに有り難うございました。
これは、平成二十二年一月十七日に、NHK教育テレビの「こころの時代」で放映されたものである