東京外国語大学教授 町田宗風
ききて 草柳隆三アナウンサー
―― 「法然を語る」の第七回です。前回まで法然の専修念仏(せんじゅねんぶつ)の教えが、如何に当時の仏教界の中にあって革新的なものであったのか、ということをさまざまな点からみてまいりました。今回はさらに、「突き崩された常識」と題しまして、その法然の教えが、当時の伝統的な仏教とさまざまな軋轢(あつれき)を起こしながら、それを越えて人々の間に広まっていったその秘密。法然の新しさというのは一体なんだったのか、ということをさらに突っ込んでお話を伺ってまいります。いつものように広島大学大学院教授の町田宗鳳さんです。どうぞよろしくお願いします。 今日のお話に入る前に、前回の纏めを少しして頂きたいんですが、前回は、「法然が類い希な創造力の持ち主であった」ということについて触れて頂いたわけですね。
町田: そうですね。法然さんのお念仏が、時代の閉塞感を打ち破るほど力強いものであった。それは何故かというと、彼の念仏が非常に逞しい創造力によって裏打ちされていた。そういうお話をさせて頂いて、さらにその創造力(イマジネーション)ということに少し踏み入ってお話して、フランスの哲学者ガストン・バシュラール(1884-1962)方が、「物質的創造力」自然の物質に刺激を受ける創造力こそ現実を乗り越える非常に逞しい創造力である、ということをおっしゃった。あるいは心理学者のカール・ユング(心理学者:1875-1961)という人が、「能動的創造力」という言葉を遣って、自己増殖力―どんどん勝手に膨らんでいくような創造力、「アクティブ・イマジネーション」というんですが、そのような非常に力強いイマジネーションが、法然の心の中にうごめいていた、と。それが念仏の声になって表現されていたが故に、非常に人の心を深く打つ力をもっていた。ユングは、「芸術家が創造的活動をする時、必ず能動的創造力が働いていて―無意識にですよ―そのような無意識から湧き上がってきた創造力に裏打ちされている芸術作品は、千人の人々の声に匹敵するぐらい大きな声で語っているほど、訴える力、アピールする力があると―芸術作品はですね。それは絵画であっても、音楽であってもいいんですが、人間が頭の中で考えた作品ではなくって、無意識からどんどん湧き上がってくるような創造力で生み出された芸術作品には千人の声が聞こえるという。そういうことを言っているわけですけれども、法然さんのお念仏も、おそらくその能動的創造力に突き上げられるようなものがあって、聞いている人は千人の声をそのナムアミダブツの中に聞き取っていたんではないか、と。だからこそあそこまで影響力のある念仏信仰になっていったんじゃないかなと、私は考えているわけです。
―― その創造の力というのは法然の場合には、どこから生まれてきているんですか。
町田: それは前回お話したことですが、「声の力」にまさに人間の抑圧された無意識を触発して、どんどん意識との統合関係を作りまして、非常に豊かさな発想力、豊かな創造力を刺激するわけですね。ですから、勿論お念仏の声の力だけでなく、彼の生い立ちとか、性格とか、時代背景が影響していると思いますが、ともかく非常に危機的な状況に、社会的な状況におかれていた人ですから、そういう切羽詰まった状況の中で生まれてきた非常にイマジナティブ(imaginative)というか、創造的な念仏信仰になったんじゃないかなと思います。だから複合的な要素があります。
―― そして法然の称えた専修念仏(せんじゅねんぶつ)が、どういうふうに人々の中に入っていったのか、ということを、今までずっと触れてこれられたんですけれども、それをまた今日もさらに深くお聞きしていきたいんですが、その当時の仏教の中でどういうふうに法然は―法然の立場として―あったのか。その辺のところをちょっと振り返って少し教えて頂きませんか。
町田: そうですね。大体仏教は六世紀に日本に伝来したと言われていますけれども、初めから日本人が仏教の深遠な思想哲学を理解できたわけではなくて、みなさんもご存じのように、仏教が日本に伝来した時に、蘇我氏(そがし)と物部氏(もののべし)の間に争いがあったわけですよね。それは物部の方が日本の宗教を守らなければいけない、と。「天つ神(あまつかみ)と国つ神(くにつかみ)」という概念があるわけですが、それは日本の国を護る神様、あるいは自分の地域を護る神様、そういう意味で天つ神、国つ神という言葉を遣ったわけですけれども、そういう神様はいるのに、どうしてわざわざインドから来た外国の宗教を受け入れる必要があるのかということで、蘇我氏と戦ったわけですね。仏と言っても神の一種とみなされて、「他国神(たこくしん)」余所の国の神と考えられていた。一方蘇我氏は大陸の中国や朝鮮の勝れた文明を日本に取り入れるためには、どうしても仏教を受け入れていく必要がある、という立場にたっていたわけで、ですから初めから仏教の思想について議論したわけではなくて、外国の風変わりな宗教をどう扱うか、ということから始まったわけです。で、だんだんと仏教が日本に定着してきても、仏陀(ブッダ)のもっとも深遠な思想が理解されたわけではなしに、初めはかなり道徳的な理解のレベルで留まっていたんじゃないかなと思うんですよ。
―― 「道徳的な理解」というのは?
町田: 例えば平安初期の景戒(けいかい)という人が書いた『日本霊記(にほんりょういき)』という物語集がありますけれども、そこに出てくる物語は大抵「因果応報(いんがおうほう)」という考えを紹介するために、いろんなストーリーを並べているわけですね。それは「善因善果、悪因悪果」と言いまして、善いことをしたら善いことがあるよ、と。悪いことをすれば悪い結果を招いてしまうよ、と。非常に因果律がはっきりしている。原因と結果がはっきりしている。だから私たちは道徳的な生活を営まねばいけないんだという、そういう勧善懲悪(かんぜんちょうあく)的な教えを庶民に伝えるための物語が『日本霊異記』だったわけですよ。やや時間が経って平安後期になりますと、『今昔物語(こんじゃくものがたり)』というものが出てくるわけですが、当時の人は大抵の方は文字も読めなかったわけですから、説教師という人がいまして、それがお寺から全国に旅に出まして、今で言ってみれば、浪花節とか落語とか、そういう感じで仏教の物語をおそらくリズムを付けて面白おかしく語っておられたと思うんですが、そのメッセージはやはり因果応報(いんがおうほう)なんですね。善いことをしなさい、と。悪いことをしては地獄に堕ちますよ、と。そういう考えを説いて廻っていたわけですよ。
―― 非常に何か生活に身近なところでその教えを広めようとした、つまりそういう流れと、仏教の場合にはもう片方でかなりアカデミックな流れも当然あったわけでしょう。
町田: ええ。それは当然南都北嶺の伝統のある大寺院では、非常に選(よ)りすぐられた人材が学僧となって難解な仏典を読んでいたわけです。
―― まさにエリート集団ですね。
町田: そうですね。ただ仏典を読めるような人間は非常に知れているわけですから、なかなかそれが広がらなかったわけですね。華厳経(けごんきょう)とか法華経(ほけきょう)とか、いろんな重要な仏典があったわけですが、それが庶民層まで理解させるには相当時間がかかったわけですね。
―― そういう中で法然という人は、もともとは叡山で勉強されてきたという経歴の方なんですけれども、でも法然は人々の中に入っていかなければいけない、ということで新しい考え方を打ち出してきた、ということなんですか。
町田: そうですね。今までの仏教の、どちらかというと悲想な理解―「因果応報」とか「勧善懲悪」とか、そういうレベルでは人は救われなくなったわけですね。平安末期の絶望的な状況で、人が水に溺れているような状況ですから、それを何とか救い上げるにはどうしたらいいか、と。そういう時に彼の一種の革新的な「専修念仏」というのが出てきたわけです。特にこの番組の初めの方でお話した怨霊、地獄、末法への恐怖を強く持っていたわけですね。ですから人は亡くなると地獄に堕ちるんじゃないか、という恐怖を強く持っていたし、また経典には「九品(くほん)」という概念が紹介されていて、これも理解していたのは貴族階級が多いと思うんですけれども、亡くなってから先、生まれ変わるのは九つの違った世界があると。「下品下生(げぼんげしょう)」から始まって、「上品上生(じょうぼんじょうしょう)」までですね。その人の生前の行い、地位、あるいはお寺に対する供養の仕方、そういうものによって生まれ変わる先が違う、と。そういう考えをみなさん持っていたわけですね。道徳的な行為をして、お寺や僧侶に懇ろな供養をした人、そういう人だけが上品(じょうぼん)に生まれ変わることができる。仏の国に生まれ変わることができる、と。それが当時の常識だったわけですよ。それを法然さんは見事に覆すわけですね。まさに彼の創造力に富んだ念仏信仰というのは、そこに大きなショックを与えるわけですよ。
―― ということは、原因があって結果がある。その原因と結果を必ずしも一致させないというか、
町田: そうなんです。そういうことを示した法然さんのお言葉があると思いますが、それを見てみましょう。
煩悩(ぼんのう)のうすくあつきをもかえりみず、罪障(ざいしょう)のかろきおもきをも沙汰(さた)せず、ただ口に南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と唱(とな)えて、声につきて決定往生(けつじょうおうじょう)のおもいをなすべし。
(『つねに仰せられける御詞(おことば)』)
―― これですね。
町田: そうですね。個々の人間の条件を問わない、と言っているわけですね。煩悩がどれだけあろうとなかろうが、どれだけ罪の深い生き方をしてきたかどうかということもまったく問題にしないで、ただ無心に口に「ナムアミダブツ」と称えることによって、必ず極楽往生に生まれ変わるんだ、ということを繰り返し言い切ったわけですね。これは今我々法然さんの教えに馴染んでいる者には、そうか、と聞こえてくるわけですが、当時の人が聞いたら、これは本当にビックリ仰天の、まあおそらく非常識とみなされるような過激な発言だったんでしょうね。
―― それほど衝撃的な内容だったわけですか。
町田: そうですね。もうみんな何とかして功徳を積んで、いいところに生まれたいと思っていたわけですから、そういうことは関係ない。ただ自分で決意をして、淡々と念仏することによってのみ往生できるんだ、というふうにいうわけですから、それまで一生懸命修行したり、あるいは功徳を積んでいた人にとっては、これは受け入れがたい主張だったと思います。
―― 一生懸命そういう功徳を積んで、いい世界に生まれ変わりたいと思っていても、必ずしもそれは保証されないんだ、ということですね。
町田: そうですね。それよりも彼が特に重要視していたのは、自分を省みることですね。仏教の言葉を遣えば、「懺悔(さんげ)の心」それを持つことこそ大事である。表面的にいいことをしても、それはちっとも功徳にならない。それよりも自分を深く省みて、本当に自分の中の醜さとか弱さとか、そういうものに気付いた時に、信仰というものが生まれるんである、と。そのようなことを言い始めたわけです。いわゆる「悪人正機説(あくにんしょうきせつ)」というのは、我々現代日本人は親鸞さんのお言葉と理解しておりますけれども、本当はお師匠さんの法然さまが最初におっしゃったことなんですよね。
―― その言葉をでれでは次に紹介したいと思うんですが、法然はこういうふうな言い方をしているんですね。
一、善人尚ほ以て往生す、況(いわ)んや悪人をや、の事。私に云はく。弥陀本願(みだほんがん)は、自力(じりき)を以て、生死(しょうじ)を離れるべき方便(ほうべん)ある善人の為におこし給(たま)はす。極重悪人(ごくじゅうあくにん)にして他に方便なき輩(ともがら)を哀(あわ)れみておこし給へり。
(『三心料簡(さんじんりょうけん)および御法語(ごほうご)』)
町田: 善人でも往生するぐらいなんだから、当然のことながら悪人も往生するんだと。非常に逆説的な表現をされるわけですけれども、それは何故かというと、阿弥陀様というのは、自分で自分を救う力を持っている人は相手にされないというか、それは問題外で、自分で修行して迷いの世界、生死を離れる道筋を見つけている人ですから、その人たちは別にかまわないと。だけど阿弥陀が現れてきて救いたい、とおっしゃっているのは「極重悪人(ごくじゅうあくにん)」自分はもうとんでもない悪人である。どのようにしても救われないと、絶望の極みにある人にこそ、私は手を差し伸べたいから出て来たんだ、と。そのように阿弥陀が誓った、というのが、浄土経典の教えなんですよ。それに注目されて、こういう「悪人正機説(あくにんしょうきせつ)」というのが出てきたわけですよ。法然さんの時代というのは、観念論ですむ時代ではなくて、戦乱、飢餓、疫病、大火、大変な状況だったわけですね。本当に行き詰まった、そういうところで綺麗事を言っても、建前を語っても誰も救われないわけですよね。ですからこういう極端な、考えてみたら、悪人の方が救われるんですよ、と。悪人の方が先に救われるんですよ、と。まあお茶の世界で言えば、善人よりも悪人の方がお正客ですよ、ということを言い始めるわけですよ。これは本当にビックリ仰天するような話の仕方でしょうね。で、面白いことはイエスも同じようなことを言っておりまして、「マルコによる福音書」を繙きますと、
医者を必要をするのは、丈夫な人ではなく病人である。
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人(つみびと)を招くためである。
(『マルコによる福音書』二章十七節)
町田: こういうことをイエスも言っているわけですよ。この場合「病人」というのが「悪人」ですよね。「正しい人」これが「善人」ですよ。イエスはこの場合、自分の罪に気付いている人、その人を救え取るために私は来たんだ、ということを言っているわけですが、先ほどの弥陀の本願についても同じことが言えるわけです。
―― 取りようによってはかなり危険な言い方ではありますよね。
町田: そうです。ですからこれは後世付けられた表現ですけれども、「造悪無礙論(ぞうあくむげろん)」というのがありますが、どれだけ悪いことをしても障りがない、と。本当は罪があっても深い懺悔をすれば救われる。どんだけ深い罪も問われない、というふうに説かれていた念仏の教えが、ちょっと歪んでしまいまして、積極的に悪事を働いても問題はない、と。念仏さえしておれば、盗みをしようが人を殺(あや)めようが、「ナムアミダブツ」と言えば救われるんだ、というふうに曲解されてきたわけです。それがいわゆる造悪無礙論の危険性なんですね。実際そういうことが後になって起き始めるわけですが、法然さん、あるいは親鸞さんは、決してそういうつもりで説いたわけではないんですけどね。
―― しかし多分そういうことは、それまでの伝統的な仏教からすれば、それは攻撃の材料に当然なり得るだろうと思うんですが、
町田: そうです。
―― 町田さん、この場合今言っている「悪」というのは何ですか。
町田: これは非常に大事なポイントですね。「悪人とは何か」「悪とは何か」、このことについてちょっと考えてみましょう。私は、それは道徳的なレベル、相対的な善悪の悪じゃないと思っているんですね。これは人間存在の根底にある無明(むみょう)というか、煩悩というか、ある意味無明あるが故に、煩悩あるが故に、私たちは人間として存在し得ているわけですけれども、前回ちょっと「唯識(ゆいしき)」のお話をさせて頂いて、人間の意識が八つの段階に分けられている、という話をしました。どうような八つかと言いますと、最初の表層意識は、「前五識」と呼ばれていまして、いわゆる「視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚」の五つの感覚を、古代インドでは意識をみなして、「前五識」と呼んだわけですが、その次に第六識というものがありまして、それはそういう感覚的なものを統合して判断する意識のことを第六識と呼ぶんですが、次の第七識から「無意識の世界」に入りまして、第七識が「末那識(まなしき)」と呼ばれているんですね。これは我執の原因―「俺が俺が」の原因になっている非常に根の深い執着、それを末那識(まなしき)と呼んだわけで、何度も引き合いに出すユング心理学では、これは「個人無意識」に相当すると思うんですが、その第七識のさらに深いところにあるのが第八識の「阿頼耶識(あらやしき)」ですね。これは「普遍無意識」に相当すると思うんですが、もう個人のレベルよりも遙かに深いところの無意識ですね。この阿頼耶識(あらやしき)こそ人間の迷いの根元である。無明そのものであると、唯識は説いたわけですけれども、法然さんや親鸞さんがおっしゃる「悪人」、あるいは先ほどのイエスの言葉に出てくる「病人」とか「罪人」とか、そういう言葉は、まさに阿頼耶識(あらやしき)―第八識を抱え込んでどうしようもない人間を言っていると思うんですね。ですから単に何か悪事を働いた、そういう人を悪人と呼んでいるんじゃなしに、我々すべての人間が、無意識がない筈はないわけですから、普遍無意識―阿頼耶識(あらやしき)を抱え込んで大いに迷っているわけですから、この私たち一人ひとりのことを「悪」と呼び、「悪人」と呼んでいる。それを自覚できるかどうか。それ一つでその人の信仰のあり方が決定付けられてくるわけですね。
―― 「自覚できるかどうか」と言われても、まさに無意識の世界ですから、当然それを意識するということはあり得ないわけですよね。
町田: そうですね。そこはうまくしたもので、我々は自分たちの内面にある無明に気付くほど賢くないわけですよね。ところがヴァスバンドウ(世親(せしん))(四世紀頃の西北インドの僧)という人が阿頼耶識(あらやしき)のことを、
恒(つね)に転ずること瀑流(ぼる)の如し
(『唯識三十頌』)
町田: と。「瀑流(ぼる)」というのは瀑流(ぼうりゅう)ですね。鉄砲水みたいなもんですよ、山から落ちてくる。無意識というのはそれほどの力を持っているわけですね。だから私たちは、社会的に品行方正でありたいとか、親切でありたいとか、いい人でありたいと思っているんだけども、そういう思いに反してしばしば非常に愚かな過ちを犯してしまう。場合によっては、法を犯すようなとんでもない犯罪も犯してしまうわけですよ。それは何がそういうふうに我々をおいやっているのか、といったら、まさに私たちが抱え込んだ阿頼耶識(あらやしき)であり、普遍無意識なんですね。無意識の力の前ではもうほとんどお手上げ状態ですね。意識というのは本当に薄っぺらい力の弱いものですからね。私たちの思いに反して、私たちはいろんな過ちを犯す失敗をしてしまう。そこで挫折をするわけですよ。大きな恥をかくかも知れないし、大きな悲しみを体験してしまうかも知れない。そこでやっと気が付くわけですよ。だから単に瞑想をして、自分の中の無明に気付くわけではなしに、大抵の場合は現実の生活の中で、自分の判断を間違ったが故に大きな借金を抱えてしまうかも知れないし、今まで信頼していた人間関係が壊れるかも知れないし、場合によっては病気になるかも知れない。事故に遭うかも知れない。そういう外的な出来事ですね。実際の生活面でいろんな試練が押し寄せてきます。で、それは挫折ということになるわけですが、場合によっては非常に深い絶望に陥るほどの挫折体験ですよね。そこでやっと愚かな凡夫の私たちも自分の中の醜さとか弱さとか汚さとか、そういうものに気付かされるわけですね。
―― つまり今説明してくださった阿頼耶識(あらやしき)―つまり無意識の世界。一番底にある無意識の世界というのは、言ってみれば、そこのところが私たち一人ひとりのあらゆることはそこから起こっている、と。そこが一番大元のところにある、というふうに考えればいいわけですか。
町田: そうです。ある意味では、私たちは無意識のロボットです。無意識に突き動かされて動いているような、自分では判断しているように思っているんですけれども、実際はその判断すら無意識のコントロール下にあるわけですから、これはある意味大変恐ろしい綱渡り的な人生を歩んでいる、ということになりますよね。仏教は必ずしも悲観的な教えを説いているわけではなくって、阿頼耶識(あらやしき)も大円鏡智という悟りの意識に転換できる。転依(てんね)(阿頼耶識(あらやしき)→大円鏡智)と言うんですが、それはその人の生き方、信仰の持ち方、修行の仕方によって、無明の塊である阿頼耶識(あらやしき)も大円鏡智(だいえんきょうち)に大きく円かな鏡の智慧に変わり得る、ということを言っているんです。
―― こういう譬え方はどうかと思うんですが、例えば阿頼耶識(あらやしき)というのは自分の中にどうにも手の付けられない暴れ馬を抱えていて、
町田: その通りです。
―― だけれども、その暴れ馬はやりようによっては手なずけることができる。
町田: 手なずけることは出来ないです。その意識と無意識の関係をよくしてあげる。自然に暴れ馬が穏やかな優しい馬に転換していくチャンスは、自分の意志で作ることができますが、手なずけようとして手なずけられるものではない、と思うんですね。囲いの中に暴れ馬を閉じ込めると、馬は後ろ脚を上げて柵を破ろうとする大変暴力的な存在だけど、その柵を取ってあげて、広い牧場に離した場合、その馬はとっても穏やかに草をはむかも知れない。それと同じことで、私たちは意識と無意識の風通しをよくする。そういう努力をしていくべきだ、と思うんですね。この無意識ですね―普遍無意識、あるいは阿頼耶識(あらやしき)を、現代の言語学者の井筒俊彦(いづつとしひこ)(1914-1993)さんという人が、「アンチコスモス」という言葉で表現されたわけです。
―― 「アンチ」が付いているわけですから、「コスモス」というのはいわば例えば「秩序」とすれば、「無秩序」。
町田: そうです。心のブラックホールですね。私たちは「コスモスの世界、常識的な世界」に今生きて、社会的な判断をして、社会的に責任のある人間として生きているわけですね。ところが私たちの内面にはブラックホール―大変恐ろしいお化け屋敷のような、以前「見るなの座敷」という言葉を遣いましたけれども、見てはいけない座敷のような心の闇を抱えている。「アンチコスモス」というのは、まさにそのように「真っ黒な闇の世界」なんですけれども、それに対してもの凄く私たちは恐怖を持っているわけです。そこには行きたくない、入りたくない、と。もう常識を突き破る世界ですからね。そこに入ってしまえば、一切の良識ある判断ができなくなってしまうわけです。ところが、そういう恐怖を持ちつつ、その一方では、そういうところに飛び込んでしまいたい、何もかも忘れて思いっきり混沌とした世界に飛び込んでしまいたい、と。非合理の世界ですね。「非合理への衝動」と言ってもいいと思うんですが、そういう非合理的な世界に飛び込んでしまいたい、という押さえがたい衝動を持っているのも事実なんですね。もう背広もネクタイも外して、素っ裸になって海の中に飛び込んでしまいたい、と。そう思うのと同じようなもんで、平生真面目な生き方、ほんとに社会的な規律の中で生きている、そういう人間こそ、一層のこそ何もかも忘れてしまいたい、という思いがありますよね。で、井筒さんもそういうことをおっしゃっておりまして、我々はコスモス的な世界に生きている、コスモス的な人間だけれども、アンチコスモス、そこに飛び込んでしまいたい、という思いを持っている。私は日本の「祭り」というのはそういう働きがあると思うんですよ。「ハレの日」と「ケの日」(非日常(特別な日)と日常とを対比させる民俗学の基本的な概念で、ハレは、公のもの、正式なものをさし、今でも晴れ着とは、正式な場に着ていく正装。一方、ケは、漢字では褻と書き、ハレとは反対に公でないもの、正式でないものを意味しており日常、普段のことを表します)という民俗学の言葉がありますが、我々は一年三百六十四日、「ケの日」に非常に世俗的な時間に生きているわけですよね。社会常識を守って。ところが、祭りの日、「ハレの日」は無礼講ですから、何をしても良い、酔っぱらってもよい。場合によっては喧嘩をしても良い、と。そういうアンチコスモスへの衝動をうまく消化したのが日本の祭りのあり方だし、日本のみならず、ブラジルのカーニバルとか、アメリカのマルディ・グラ(Mard Gras:ニューオリンズで開催される全米最大の祭り)というかなり荒っぽい祭りがありますが、そういう宗教儀礼は世界各地にあるんです。それは何かというと、人間の押さえがたいアンチコスモスへの衝動をいい形で消化しているわけですね。その日ばかりは無礼講であると。そして日常のバランスを保ってきたわけですよ。ですから、法然さんというのも、平安末期から鎌倉初期の極めてアンチコスモス的な社会状況に生きていた宗教家ですからね、彼自らがアンチコスモスに飛び込んでいくわけですよ。飛び込んでいって、そこで見つけた教えが「悪人正機説」悪人こそ救われるんである。善人ではない、と。自分の悪人ぶりに気付いた人間こそ、自分に絶望した人間こそ救われていくんだ、と。究極の教えと言いますか、危機的状況だからこそ言えた言葉ですね。これが非常に落ち着いた、安定した社会では、決して受け入れられる言説ではなかったと思います。
―― つまりそうやって、いわば混沌というか、アンチコスモスという言葉でしたけれども、そこへ飛び込むことによってバランスを取る、と先ほどおっしゃいましたですね。
町田: ええ。アンチコスモスに行ったきりではダメなんですよ。それでは社会生活が成り立たないわけですから、やはりコスモス的な、常識的な当たり前の世界に戻ってこなければいけないわけで、だから法然さんは「普段の念仏」ということをおっしゃったのも、常に自分の中のアンチコスモスを見つめながら、当たり前の世界で平々凡々に生きましょう、というのが、彼の普段念仏の精神なんです。「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ」と言って、当たり前の世界を当たり前に生きていきましょう、と。だからいったんアンチコスモスに飛び込んだけれども、ちゃんとコスモスに戻ってくる方法も見せておられるわけですね。「往相回向(おうそうえこう)」と「還相回向(げんそうえこう)」と二つある。そういうふうに仏教ではいうんですが、お念仏の中に両方入っていると思います。自分の無明を見つめるけれども、煩悩を見つめるけれども、お念仏によって浄土の世界に救われる、というのは、要するにコスモスの世界にちゃんと辿り着きますよ、ということなんですね。その辺に法然さんのかなり近代的な合理精神があると思うんですよ。だから彼が当初、今までのようにお寺に供養するとか、仏典を読むとか、そういう形式的な善根功徳を積んでも意味がないというのはそこなんですよ。自分の決断力一つだと。もう経済力とか教養の深さとか、あるいは人生体験の豊かさとか、倫理的なその人の資質とか、そういうものは一切関係ないというわけですよ。そういう条件付けは要らないと。ただ自分の醜さ弱さ悲しさ、あるいは寂しさ、そういうものをしっかり見つめたうえで、そこから弥陀の光を見出していこう、と。それをするかしないかは、あなた次第ですよ、というかなり個人主義的な思想ですね、彼の専修念仏は。いわゆる西洋哲学では、「近代哲学の父」と言われているデカルトが、「われ思う、ゆえにわれあり」と。信仰よりも自分の知性・理性を尊重して、そこで判断していくことが大切なんだ、ということを言ったのがデカルトなんですが、ある意味法然さんというのは、「近代日本の父」と言ってもいいぐらい、相当個人主義的で合理主義的な判断力を持った人ですね。リアリストなんです。現実主義者ですから、目の前に大変な状況が出来(しゅったい)している。社会状況―もう手も付けられないぐらい絶望的な状況である。ここで綺麗事を言ってもすまない。ここで建前を言ってもすまないと。じゃ、人がこういう状況で救われるにはどうしたら良いかと。非常に現実主義者としてシビアな目で目の前を見ているわけです。そこで、じゃ、もう修行も要らない、お経も読まなくていい、何かいいこともしなくていい、ただひたすらナムアミダブツを称えなさいと。自分の弱さ無明を見つめて一心にナムアミダブツを称えることによって摂取不捨(せっしゅふしゃ)ですね、根こそぎ十人が十人、百人が百人救われていくんだ、ということを敢然として言い切った人なんですよ。
―― 法然の言葉を一つ見てみましょう。
時もすぎ、身にもことうとまじからん禅定(ぜんじょう)・智慧を修(しゅ)せんよりは、利益現在(りやくげんざい)にして、しかもそこばくの仏たちの証誠(しょうじょう)したまえる弥陀(みだ)の名号(みょうごう)を称念(しょうねん)すべきなり。
(『念仏大意』)
町田: そうですね。「時もすぎ」というのは、時間もかかるということ。そして「身にもことうとまじからん」というのは、とても身体的に耐えられない厳しい坐禅とか、あるいは学問とか、そういうものを修めるよりも、もう結果がはっきりしている。インスタントな結果が出るお念仏。それは諸仏諸菩薩が証明していることだから、その弥陀の名号を称えたほうがいいんだ、というふうに言い切っているわけですね。ですからこの言葉によって救われた人は非常に多いと思うんですが、反対に非常に耳障りに聞こえた人たちも多いわけです。
―― それはそうでしょうね。
町田: これをはっきりとした形で表していったのが、彼の主著と言われている『選択(せんじゃく)本願念仏集』ですね。それまでは法然さんが巷(ちまた)で少人数の方を集めて話しておられた限りは良かったんですが、これを本にされた。まあご自身が書かれたよりもお弟子さんたちが口述筆記したわけですけれども、法然さんの主著とみなされていて、浄土宗立教開宗の書と、非常に重要な位置づけがされているんですが、当時の人にとってはこれほどの革命の書はなくて、大変危険な書物だったわけですよ。そこで説かれているのは、先ほどのように「九品(くほん)」という考えを無視したような、真面目に修行したお坊さんよりも、文字の読めない貧しい人の方が先に救われる、というような逆説的救済論が説かれているわけですから、これで伝統的な南都北嶺の権門寺院、権力のある大きな名刹が黙っている筈はなかったわけですよ。
―― では、それを見てみましょう。
百即百生(ひゃくそくひゃくしょう)の専修正行(せんじゅしょうぎょう)を捨てて、堅く千中無一(せんじゅうむいつ)の雑修雑行(ざっしゅぞうぎょう)を執(しゅう)せんや。行者(ぎょうじゃ)能(よ)くこれを思量(しりょう)せよ。
(『選択本願念仏集』)
町田: 相当過激な表現ですね。「百即百生(ひゃくそくひゃくしょう)」というのは、百人の人がお念仏を称えれば、百人とも極楽往生に生まれ変わることができる専修念仏の正しい行を捨てて「千中無一(せんじゅうむいつ)」というと、千人の人がやってもただ一人も救われないような「雑修雑行(ざっしゅぞうぎょう)」ですよね、これは伝統的な非常に困難な行ですよ。いろいろあるわけですね。回峰行とか護摩行とか、禁欲的な行をあなたはやるんですか、と。千人やっても一人も救われないんですよ、と。こっちは百人やったら百人救われるんですよ、と。「行者(ぎょうじゃ)能(よ)くこれを思量(しりょう)せよ」というのは、よくよく考えて判断してください、と言っているわけですから、相当きつい表現ですよ。これによって確かに最後の望みを繋いだ人たちも多いだろうし、反対に自分の立場を全否定された人たちも多いわけですから、物議を醸(かも)さざるを得なかったわけですね。
―― 今の内容からすれば、それまでの伝統的な仏教に対して、喧嘩をふっかけている、というふうな感じすらするんですけれども。
町田: まさにそうですね。当時ある意味では相当原理主義的な宗教思想じゃないか、と当初受け止められたでしょうね。それまでの仏教では大変強い意志と忍耐力が要する行のほうが勝れている、と。それで口称念仏というのは一番愚かな人たち、一番体力のない人たち、精神力のない人たちの仏道だと思われていたわけですが、彼はそれを逆転してしまって、お念仏を「最善極上(さいぜんごくじょう)の法」と呼ぶわけですね。他の如何なる行よりも、これが最善である、極上である、と。これを繰り返しいうわけですよ。だから当時としては、とんでもない非常識だったでしょうね。でもそれこそ人を救う力があったわけですよ。原始仏典に『マッジマ・ニカーヤ』というお経があるんですが、その中に「毒矢のたとえ」という比喩があるんですが、それは誰かが毒矢で撃たれたら、まずすべきことはその毒矢を抜いて、その人を手当すること、命を救うことのほうが大事なのに、大抵の宗教は、どんな毒矢が刺さったのか、どんな毒が塗ってあるのか、毒矢で撃たれた人の身分は何であるとか、誰がその矢を放ったのか、そういう詮索をしていて、命を救うことに眼目をおいていない、と。そういうことを仏陀がお説きになったと言われているのが、この「毒矢のたとえ」という話なんですが、まさに法然さんというのは、一番低い地位に置かれていた口称念仏を、「最善極上の法」と呼んで、これだけやればいいんだ、これだけやればあなたの毒矢を抜くことができるんだ、と。非常に切羽詰まった状況で説かれた教えだと思うんですよ。ですからその部分だけ抜き出して、現代から判断すると、とんでもない過激な思想のように見えるんですが、当時としてはそれがもっとも現実的で合理的な救いの説き方だったんでしょうね。
―― ただやはり当時の常識派からすれば、さっき非常識とおっしゃいましたけれども、やはりそれはとんでもないことだったと思うんです。それと多分きっと常識派からすれば、法然さんは、独善的というか、独断じゃないか、という見方だって、それは当然あったわけでしょうね。
町田: ええ。次回の番組で、「どのような法難に遭っていったか。迫害に遭っていったか」という話をさせて頂くんですが、法然さん自身がこの『選択集』の危険性に気がついておられて、ごくごく内輪の弟子にしか読ませる気はなかったわけですね。その一番文末に、
壁底(へきてい)に埋めて窓前(そうぜん)に遺(のこ)すこと莫(なか)れ。恐らくは破法の人をして、悪道に堕せしめざらんことを。
(『選択集』)
町田: これは壁の底に埋めなさい、と。決して窓際なんかに置いておいてはダメですよ。うっかり人が見ちゃったら大変な誤解をされる可能性があるから、そう軽々に部外者には見せてはいけないという。ご自身がその危険性に気が付いておられたんだけども、実際はどんどん広がってしまうわけですね。法然さんが、お亡くなりになってから十五年経って、「嘉禄(かろく)の法難(ほうなん)」というのが起きるんですが、その時に彼のお墓が破壊されただけでなくって、この『選択集』の版木が焼かれてしまうわけです。これは日本の宗教史上初めてのことですね。
―― キリスト教にはありますけどね。
町田: そうですね。そして秦(しん)の始皇帝(しこうてい)も焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)といって、いろんな書籍を焼いてしまった、というふうに言われておりますが、日本では版木まで焼かれたというのは、法然さんの『選択集』が最初にして、最後かも知れませんね。それほど危険な書物とみなされていたわけです。
―― ただ法然の場合には、勿論民衆からの支持ということは当然あったわけでしょうけれども、一般の人たちだけではなくて、同じ仏教徒の中でも相当支持が当然あったんでしょうね。
町田: そうですね。私は法然さんの思想を最初に評価できた人、その真価を最初に気付いた人は、若い僧侶だったんじゃないか、と思います。庶民というよりも、仏教の体制、現実を十分に理解していた、そういう専門的な僧侶の中で、その状況に飽き足らなかった人たち、あるいは不満を持っていた、そういうどちらかというと、若い年代の独立心旺盛な僧侶たちが、真っ先に法然さんの教えの価値というものに気付かれたんじゃないか、と。そこからだんだんと貴族に伝わり、武士に伝わり、庶民に伝わっていったんじゃないか、と。そのような段階があったように思うんですけれども。宗教というのは―宗教に限らないんですけれども、いつの時代も人間というのは保守的になりがちですよ。これは政治をみても、経済をみても、常に聖書に「古いものの方が良い」と。「そういう考えを持っているのが人間だ」というふうに説かれていますけれども、私たちは大体古いものを守った方が安全だし、自分たちの権益も守れるわけですから、それを守ろうとするのが人間の本能なんですね。それが相当行き詰まってきても、容易にそれを手放すことができない。それが現実社会だと思うんですけれども、法然さんはもうあるところで保守的な宗教では到底人を救えない、という判断をくだして、敢然として自分の新しい思想を説き始めるわけですね。弟子の中には、「もう止めてください。これ以上いうと危ないですよ。黙っていてください」という身近な弟子がいたわけですけれども、彼は、「自分は首を切られてもこのことを言わないでおくわけにはいかない。これを言わないと人は救われないんだから、黙らない」というふうに、彼は言うわけですけれどね。相当頑固といえば頑固ですけれども、それほど人を救いたいという強い思いをお持ちだったんでしょうね。
―― 常に何か新しいものが、しかもいいものが生まれてくるという時には、古いものとの闘いというのは、これは避けられないことなんでしょうけれども、お話を聞いていますと、壮絶な時代だったんですね。
町田: そうですね。常に古いものよりも新しいものの方がよい、とは簡単に言い切れないんですが、やはり古い制度から脱皮して、新しい制度に移行する時、その時に出てくる新しいものの考え方、イデオロギーというものは、非常識とみなされがちなんですね。それが本当によい思想であるかどうか。よいイデオロギーであるかどうか。
―― その決め手はなんですか。
町田: それは歴史です。時間がかかります。短時間ではわからないわけですね。ですから法然さんの専修念仏も、当時はまったく非常識で、危険で悪に近い思想と。悪魔の思想ぐらいに思われていたんじゃないですか。しかしそれが何百年という時間を経て、よい教えであった、と。人を導く思想であった、と。それが時間をかけて証明されてきたわけですね。だからすべての人間の営みについて言えるんじゃないですか。
―― 最後に今日のテーマ「突き崩された常識」ということの纏めをしてください。
町田: 常識というのは、社会に受け入れられて、既に定着しているわけですから、それに対して挑戦する。どうしても止むに止まれない思いで古い常識に挑戦する。そういう時に必要なのは、やはり決断力と勇気なんですよ。だから私たちも何かに行き詰まった時、一歩踏み出る勇気を持っている必要がある。いつまでも怯(おび)えていては、ちっとも新しいものが生み出せない。時には過去からの呪縛(じゅばく)を、鉄の鎖を断ち切るためには、大鉈(おおなた)を振り下ろすという、そういう決断力が必要なんじゃないかな、と思います。
―― 勿論それと支持が必要でしょう。
町田: それは自然と湧き上がってくるもので、初めから支持を求めるというわけにはいかないでしょうね。
―― そうも有り難うございました。
これは、平成二十一年十月十八日に、NHK教育テレビの「こころの時代」で放映されたものである