東京外国語大学教授 町田宗風
ききて 草柳隆三アナウンサー
―― 今日は「法然を語る」の六回目です。番組ではこれまでに法然の生い立ち、それから比叡山に入ってからの長く苦しい修行のこと、そしてその修行を通して、ただひたすら念仏あるのみという救済方法を発見した、その後をみてきたわけですが、六回目の今回は「現実を超える力」と題して、法然の現実を生き抜く力というのは一体なんであったのか、ということを中心にして、いつものように広島大学大学院教授の町田宗鳳さんにいろいろとお話を伺ってまいります。よろしくお願い致します。 行き着くところはただ念仏あるのみ、ということだったようですけれども、ただその念仏も、前回のお話の中では口に称えて出すことの意味、そのことについてお話をしてくださったんですね。
町田: そうですね。法然さんというのは、声の力の本質を見きわめていた方で、朗々と称えるお念仏の中に仏に出会った方ですね。私は、声は思索よりも深い、という考えを持っているんですけれども、まさに法然さんは、その思索よりも深い声の中で仏に出会った、というお話をさせて頂いたんですけども、今回はもう少し踏み込んで、じゃその声の力にはどういう働きがあるのか、ということを考えてみたいと思っています。
―― 一言で言いますと、どういう力があるわけですか。
町田: 声の力には、人間の秘められた心を開く力―近代的な表現をすれば、無意識という玉手箱を開く力があるわけですよ。その一旦蓋で閉じ込められた無意識を解放すると、そこから非常に逞しい想像力(イマジネーション)が湧き出てくるわけですよ。そのイマジネーションこそ現実を超えて新しい現実を作る力がある、と。そのように考えているんですが、ですからお念仏というのは、単に「ナムアミダブツ」と称えて阿弥陀様の世界を憧れるというものだけではなくて、もっと現実を根本から覆すぐらいの凄まじい力を持っている、というお話が今日できればよいな、と考えています。
―― 法然までは日本の仏教の歴史の中で念仏を声を出して称えるということの意味については、あまり問題にされてこなかったというか、
町田: そうですね。もう少し観念的に捉えられていましたから、お念仏を称えるということは仏様のお姿を想念しながら、一種の妄想法として受け止められていた、と思うんですけれども、法然さんはあまりそういう観念的な側面に注目せずに、声の力そのものに着眼されて、念仏の実力というものにお気付きになっていたと思うんですよ。
―― 後々の世になって、法然の念仏―声に出して称える念仏について注目をした人は勿論たくさんいたと思うんですけれども、先生のお書きになったガイドブックの中には、その一人として吉田兼好(よしだけんこう)(1283-1352)の話が出てまいりますね。
町田: 法然さんのおよそ七十年後に登場してきた吉田兼好ですが、この人は仏教、儒教、老荘思想に通じていた当時の知識人の第一人者だと思うんですけれども、『徒然草(つれづれぐさ)』に法然さんのことを非常に面白く描いていますね。
―― そこの部分のところをちょっと読んでみたいと思うんです。
或人(あるひと)、法然上人に、「念仏の時、睡(ねむり)におかされて行(ぎょう)を怠り侍(はべ)る事、いかがしてこの障(さわ)りを止(や)め侍らん」と申しければ、「目の醒(さ)めたらんほど、念仏し給(たま)へ」と答へられたりける、いと尊かりけり。また、「往生は、一定(いちじょう)と思へば一定、不定(ふじょう)と思へば不定なり」と言はれけり。これも尊し。また、「疑ひながらも念仏すれば、往生す」とも言はれけり。これも、また尊し。
(『徒然草』)
町田: 要点を掻い摘んでご説明しますと、お念仏の時に眠たくてしょうがない。どうすればこういう眠気に襲われないようになるでしょうか、と誰かが訊いたわけですよ。そうしたら眠たければ居眠りすればよいじゃないか、と。暫く居眠りしてから、目が覚めてからお念仏をしなさい、ということをおっしゃったわけですね。その次は、極楽往生というのは、必ず自分がするぞ、と思ったらきっとするだろうし、極楽往生するかどうかと、自分の中に何か不安なものがあれば往生しないかも知れない、と。そういうことも言われた時もあれば、また別の時は、たとい自分に疑念があっても、疑いがあってもきっと往生するんだ、と。まあいろんな言い方を法然さんがされたことを、すべて吉田兼好は非常に貴いお言葉じゃないか、というふうにちょっと客観的にみているわけですけれども、法然さんというのはもう力の抜いた非常に安心した境地でお念仏を称えておられた、ということが、この『徒然草』の一節からも伺いますね。全然不必要な緊張感がなくて、どういう形でお念仏をしておろうが、眠い時は眠ったらいいし、心が動揺しておろうが、信仰でしっかり固まっておろうが、お念仏というのはみんなを救う力があるんだ、と。そういう確信の元でお話になっていた、ということがこの下りからもわかるんですけれども、法然さんの鷹揚(おうよう)さというものが滲み出ているような『徒然草』の一節じゃないかな、と思って、私は読んでおります。
―― 今のなどを見ておりますと、それぞれ自分の都合に合わせておやりになったらどうですか、という感じなんですが、本人次第というふうなところも多分あるんでしょうか。
町田: そうですね。本人の心の状態がどうであれ、「ナムアミダブツ」という声の力には、その人をよりよきところへ引っ張っていく力があるという自信があったわけですよ。それとちょっと大きなコントラストをなしているのは、平安時代でもっとも重要な僧侶の一人と言われている恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)(942-1017)ですけれども、この方は紫式部と同じ時代に生きておられた方で、『源氏物語』にも「横川(よかわ)の僧都(そうず)」という表現が出てきますけれども、これは源信のことなんですね。源信さんには『往生要集(おうじょうようしゅう)』という非常に重要な著書があるんですけれども、これはもう平安文化―浄土教美術とか、阿弥陀堂の建物建築様式まで影響を及ぼした非常に役割の大きい著書を著した方なんですけれども、源信というのは、法然さんと同じ九歳で出家しておられまして、そしてもう十五歳で当時の村上天皇にご進講された、と。よほど勝れた人だったんでしょう。もう出家して六年後には天皇にご進講したわけですから、まあ天才的な頭脳の持ち主だったと思うんですよ。その宮中で天皇にご進講した時、天皇から贈り物を下賜されるんですが、それをお母さんに送ったら、お母さんが喜ぶと思って、「僕は十五歳で天皇に会って講義をしたんだ」と。その証拠として贈り物をお母さんに送りつけたら、お母さんが非常に厳しい頼りをよこすわけです。
―― その言葉が残っているようですので、それをまたちょっと見てみたいんですけれども、たしなめているんですね。
町田: そうなんです。
後の世を渡す橋とぞ思ひしに 世渡る僧となるぞ悲しき まことの求道者(ぐどうしゃ)となり給へ
―― 面白いですね。
町田: あなたは迷える人をこちらの世界から仏の世界に導く橋となるような、そういう僧侶となってくれると思っていたのに、あに図らんや世渡り上手のお坊さんになってしまったのか、と。そういうたしなめの頼りをお母さんがよこした、というんですよ。やはり立派な僧侶のお母さんだけありますよね。
―― 賢い母親ですね。
町田: そうですね。現代でもそのような母親というのはたくさんおられますけれども、私は仏教に限らず、宗教家にとって母親の役割というのは非常に大きいものがある、と思っているんですね。やはり幼少期に母親からどういう教育を受けたか。どれだけ愛情を受けたか。そういうことによって宗教家の後々の思想的展開というのが大きく影響を受けていると思うんですね。
―― そういえば、このシリーズの一番最初の方でも、法然のお母さんも立派だった、というお話がありますたですね。
町田: そうですね。お母様の記録は実は非常に少なくて、よくわかっていないんですが、おそらくお父様の漆間時国(うるまときくに)が殺されて間もなく病死されたんじゃないか、と言われていますけれども、それまではほんとにふんだんな母性を受けて法然さんもお育ちになっていたと思うんですよ。まあ源信のお母さんのお手紙を見ても、やはり人間性の成長における母親の役割の大きさというものをまざまざと見せつけられますね。
―― で、その源信なんですけれども、法然から見れば源信という人は勿論先輩になるわけですけれども、同じ浄土の流れを汲む先輩ですよね。
町田: そうですね。
―― その源信が書かれたという『往生要集』なんですが、これはどういう中味なんですか。
町田: キーワードは「厭離穢土(おんりえど)、欣求浄土(ごんぐじょうど)」と言いまして、地獄の恐ろしさを『往生要集』で描ききるわけです。「八大地獄」と言って、八つの恐ろしい地獄の世界―釜で煮られるとか、針の山を上らされるとか、舌を抜かれるとか、そういう地獄の様相を非常にリアルに文章で描くわけです。ですからそういう地獄に堕ちたくなければしっかりと念仏を称えて御浄土を求めなさい、というのが、この『往生要集』という本のメッセージなんですね。法然さんご自身も、四冊も『往生要集』の注釈書を書いておられるんです。これは若い時に比叡山時代に書いておられるんですけれども、よほど影響力の大きい本だったと思いますね。『往生要集』に描かれ、地獄の恐ろしさ、これは大宮人の心を覆ってしまうわけですよ。みんなが、この『往生要集』はおそらくベストセラーだったと思うんですが、それを読んで、地獄というのは恐ろしいところだ、と。特に貴族たちが自分たちは絶対地獄に堕ちたくない、という恐怖心を持ちまして、いろんな儀礼を始めたのもこの本がきっかけになっているんですね。『往生要集』のとっても大事な部分は、「臨終行儀」と呼ばれていまして、臨終の際の作法が記されているわけですけれども、どうしたら阿弥陀様と観音菩薩、勢至菩薩の来迎を受けることができるか、というマニュアル本なんですよ。緻密に書いてありまして、人が間もなく亡くなる様子を見せると、別な建物―無常院(むじょういん)というところに運んで、そこで有縁の者、僧侶も集まって徹夜でお念仏をする、というふうに死の瞬間を非常に重大視するわけです。「臨終正念(りんじゅうしょうねん)」という言葉がありますけれども、人が事切れるその瞬間に正しい思いを持っていないと、地獄に堕ちてしまう、と。そのためにいろいろ背景の準備を調えるわけですね。この前もお話しましたけども、阿弥陀像を臨終の床に運んで、阿弥陀様の指と亡くなる人の指を五色の紐で結んで、そして不断のお経を称える。その中で亡くなっていかないと、地獄に堕ちる、という大変深刻な不安を抱えていたわけです。で、人が亡くなる時に、どういう顔付きで亡くなるか。それが非常に深刻に受け止められていまして、二つあるわけです。その一つが「迎接(ごうしょう)の相」と言いまして、阿弥陀の来迎を朦朧とした意識の中で見ている、そういう顔の様子を見せている。それを「迎接(ごうしょう)の相」というわけです。もう一つは「罪相(ざいそう)」です。罪の相。非常に苦しそうな顔をしているとか、悲しそうな顔をしているとか、これは来迎の様子を見ていなくって、地獄の様子を見ている、と。それが顔に現れているわけですね。ですから亡者を取り囲んだ人は、どちらの顔をしてこの人は亡くなったのか、と。それを判断するわけですよ。もう白か黒かの世界ですよね。万が一罪相を見せて、苦しく悲しい顔をしていた場合は、次の手段がありまして、「光明真言(こうみょうしんごん)」という真言があるわけですけれども、それで加持をした砂を遺体にかける。そうすればその人は地獄に堕ちなくてすむという、そういうことまで「臨終行儀」に書いてあるわけです。ですから当時の人は、特に貴族にそういう傾向が強かったと思うんですが、失敗する死というものに対する不安を深刻に抱えていた、と思うんですよ。
―― 失敗すれば地獄へ落とされてしまうという、そういう恐怖なんでしょうか。
町田: そうなんですよ。驚くことに恵心僧都源信は、非常に徳の高い真面目な学僧だったわけですよ。この方は一生比叡山を下りることなく、横川で―比叡山には東塔、西塔、横川という三つの谷があるわけですけれども―その横川で生涯学問に打ち込まれた方です。で、ご本人が記録しているわけですけれども、『法華経』八千巻、『阿弥陀経』一万巻、『大乗経典』五万五千巻を称えておられたというんですよ。それは何故かというと、すべて臨終正念のためです。正しく死の瞬間を迎えるためですね。それほど入念に綿密に死に備えておられた方が、実際に死の床に就かれてお弟子さんに聞くわけですよ。「自分の顔に迎接の相が出ているか、罪相が出ているか、どちらが出ているか」ということを不安気に訊かれたということが記録に残っておりますけれども、これはちょっと驚きですね。人格も非常に勝れた方がそういう一種の恐怖心を持って死を迎えられた。かたや法然さんというのは、前回もお話しましたけれども、お弟子さんが、「臨終の床に阿弥陀像を運んできましょうか」と言ったら、「そんなものは要らない」と。「紐も結ばなくっていいんですか」と言ったら、「それは世間のしきたりである。むしろ真実の仏がここに、真身の仏がここにおられるじゃないか」ということをおっしゃったんですよね。また法然さんは、「道で亡くなろうが、お手洗いで亡くなろうが、そんなことは人間、関係はないんだ。病気で亡くなろうが、事故で亡くなろうがもう普段のお念仏の徳を積んでおれば、死の瞬間はどういう形であってもいいんだ」と。非常に肩から力の抜けたお念仏をしておられましたけれども、その大先輩である恵心僧都源信が、このように緊張感を持った臨終を迎えたというのは、非常に大きな歴史的な隔たりを念仏の歴史において感じますね。
―― 非常に二人の対比というのは面白いですね。
町田: そうですね。
―― 今お話になっている臨終の儀式というのは、多分きっと限られた世界の中でのことなんでしょうけれども、そういう源信に対して、法然は、源信自身をどんなふうにみていたというか、評価していたんですか。
町田: 非常に尊敬しておられると思うんですけれども、しかし源信さんの宗教観をある時点で乗り越えてしまったでしょうね。京の都に下りてから源信のことをそれほど語られたとは思わないんですけれども、比叡山時代はそれこそ学問的な大先輩ですから尊敬しておられたと思うんですが、面白いのは「他界観」の話ですね。亡くなってからの世界の話をすれば、法然さんは「一極構造の他界観」を持っておられた。
―― 「一極」というのはどういうことですか。
町田: 死ねばいくところはもう「極楽」しかない、と。この前もお話しましたように、炎が上に昇るし、水は下に下る。甘いものは甘いし、酸っぱいものは酸っぱい、と。ほぼ物理的法則のように人が死ねば往生するんだ、というふうにおっしゃっている。それは「一極構造の他界観」なんですね。源信さんの場合は、「極楽」か「地獄」か、この二つなんですね。亡くなった後。これは「二極構造」で、そして地獄に堕ちずに極楽に行くには遠いところにおかれた的を矢で射るような、そういう深刻さというか、厳しいものがあるわけですよ。白か黒かの世界ですからね。
―― 今、「一極構造」というふうに言われたんですけれども、つまり浄土のことしか考えなかった。勿論地獄のことについて考えなかった筈は当然勿論ないわけですから、敢えてその地獄について触れなかったんですか。
町田: そうですね。私は、一つの選択をしたんじゃないかと思うんですがね。以前、「定善観(じょうぜんかん)」というお話をしましたけれども、集中的な念仏―一日に何万遍もするようなお念仏をして、一度も何か魔界というか、悪魔的な恐ろしいものを見たという記録はないわけですよ。そのことについて弟子が聞いているんですよ。お師匠さんに、「魔界というものはないんですか」と。その時に法然は、「自力の法然、自意識で悟りたいとか、仏の姿を見たいとか、自我意識でお念仏をすると、そういうものを見てしまうんだけれども、一心に阿弥陀様のことを思って、信仰に基づいた念仏をすれば、そういうものは見ることがないんだ」というふうに言い切っておられます。ですからここは非常に面白いところで、一種のイマジネーションの選択をしておられるわけですね。ほとんどいろんな書き物がありますけれども、地獄への言及はないわけで、意識的にそれを削除しておられる。コンピューター的にいえば、デリート(delete:電算機の命令・信号などを削除すること)しておられる。そういうものはないんである、と。どういう死に方をしても人間は真心で信心すれば間違いなく、誰でも男であろうが女であろうが、罪があろうがなかろうが、みんなが極楽へいくんだ、という。一種の良い意味での決めつけをしておられますね。
―― まさにあの世を巡る考え方の違いということなんでしょうけれども、今、源信と法然の違い、例えば東西の違いというか、ヨーロッパなどではどういうふうな他界観が中心になっていたんですか。
町田: 十四世紀にイタリアのフィレンツェにダンテ(1265-1321)という人がいたわけですけれども、この人は天才的な才能をお持ちで、政治家でもあったわけですが、政治家として失脚した後に、「神曲」という本を書くわけですが、これは面白いことに「三極構造」になっておりまして、神の国である「天国」と「人間の世界―現実」と、その間に「煉獄(れんごく)」という、まあキリスト教の考えですが、まあ一つの中間地点があるんですね。人間は亡くなってからみんな煉獄に送り込まれる。そこで神の審判を受けるわけですよ。そこで本当に神に信仰告白をして、それまでの罪を懺悔(ざんげ)すれば再び天国に引き上げられるわけですよ。そこで一種の安全地帯があるわけですね。この煉獄に相当する考えが、仏教では「中有(ちゅうう)」と言います。我々も人が亡くなると四十九日間法要しますよね。七日七日で。あれは中有にいると考えられているんですね。亡者の霊が四十九日間、中間地点にいる。中有にいるという考えなんですよ。
―― まだ落ち着いていないということですか。
町田: そうです。その時に入念な供養をすれば、その亡者の霊は仏の世界にいく、という考えなんですね。キリスト教では、周りの者が供養するという考えはないんですが、本人が煉獄で懺悔をすれば神の救いに預かれる、という考えなんですよ。ですから法然は極楽だけの一極構造、源信は極楽と地獄の二極構造、そしてダンテは神の国、極楽と煉獄と人間界という三つの構造を持っている。非常にこの同じ他界観でも、人によって、宗教によって違うんだなあということがわかりますね。
―― 天国があれば地獄がある。つまり今の言葉でいえば、二極あるということもわかるし、真ん中があるんだということも常識的には分かり易いんですが、その中で法然のたった一極だというのは、言ってみれば実はユニークといえばユニークですね。
町田: そうですね。そこに彼の逞しい想像力があるわけですね。法然さんが生きた時代というのは、実は「往生伝」というものが非常に流行りまして、沢山の「往生伝」が編纂されているんですが、そこでは人間の死の瞬間が非常に美しく描かれているんですよ。まあ非現実的に死を美化する。そういう物語がいっぱい集まったのが「往生伝」なんですが、それは裏返していえば、如何に当時の人たちが死に対する大きな恐怖心を持っていたかということなんですね。だけど法然さんは、そういう死をフィクションとして見るようなことはなくて、現実の死を―多くの人が亡くなっていたわけですから、それをシビアに見たうえで、その死の否定的イメージを百八十度ひっくり返してしまう。そういうことをやってのけた、まさにイメージ力の人、と私は考えているわけです。
―― しかしどこから出てくるんですかね。
町田: ここから現代的なものの考え方で考察してみたいんですけど、そのイメージというのはイマジネーション(imagination:想像・創造力)ですよね。私がよく引用するフランスの哲学者にガストン・バシュラール(1884-1962)という方がおられて、この方の主著は『水と夢―物質の想像力についての試論』という本なんですが、その中で彼は想像力のことを、「現実を超え、そして現実を歌うイマージュを形成する能力」というふうに言っているわけですけれども、我々が生きている人生の一番原動力になるのはイマジネーション―知性でも理性でもない、と。イマジネーションこそが私たちの生きる世界を作るんだ、という考え方を持っていた人なんですよ。
―― 想像力ということですか。
町田: そうです。ここでちょっと思い出すのはビートルズのジョン・レノンに「イマジン(Imagine)」という世界を席巻した歌がありますが、彼もそこで歌っているのは、「世界平和を構築するのは人間のイマジネーションである」ということを言っていますよ。非常に鋭い指摘だと思うんですけれども、バシュラールには想像力に対して、二つの概念がありまして、一つは「形式的想像力」、もう一つは「物質的想像力」ということなんです。「形式的想像力」というのは、我々が普通に使っている想像力の言葉の意味なんですけれども、例えばここに無いものを思い出すわけですよ。「ここに黄色いチューリップがあることを想像しましょう」といえば、誰でも想像できるわけです。それは黄色いチューリップというのは実際にあるものです。実際にあるものがたまたまここに無いだけで、それを今二人で想像する。「ここに子犬がいると思いましょう」と。ここにいなくても実際に現実に存在するものですから、ここに子犬を想像するのは簡単ですよね。それは「形式的想像力」です。もう一つの「物質的想像力」の方は、誰も見たことがないものを想像する力です。子犬とか黄色いチューリップじゃなしに、誰も見たことのないイメージを想像する。これは大変なことですね。何故彼が「物質的」という言葉を遣ったかというと、それは自然界にあるもの―水とか、火とか、土とか、風とか、そういうものに人間が触れた時に、そのように非常に逞しい想像力が動き出す、と彼は考えているわけです。こう頭を抱えて何かを想像するんじゃなしに、全身の細胞に自然界の物質の刺激を直接受けた時、そのような時にもっとも逞しいイマジネーションが動き出す、と。そのようにバシュラールは考えたわけですね。私自身が趣味の一つで、よく海にカヤックを漕いで出るんです。それはモーターが付いていませんから、沖合に出ると、本当に波の音、風の音、鳥の声しかしないんですね。そこには何にもない、機械的なものが。そういう時に凄く全身が刺激を受ける。そういうことによって人間のもっとも本質的なイマジネーションが動き出すというふうにバシュラールは考えたわけですけれども、私は法然さんというのがまさにそうだと思うんですね。私自身が法然さんの生まれてからずっと晩年までの足跡を今訪ね歩いているんですが、つい先頃比叡山の西塔の黒谷(くろだに)に行って来たんですね。黒谷の青龍寺(せいりゅうじ)に二十五年間もおられたわけですから、どういう環境でお念仏をしておられたんだろうと思って見に行って来たんですけれども、その辺り一帯のお寺の周辺の山を歩いていますと、非常に見晴のいい場所なんですよ。今は杉木立で覆われて暗くなっていますけれども、昔の日本の山々はほとんど広葉樹林で非常に明るい森だったんです。今は戦後の植林政策で日本中の山が、西洋の杉とヒノキで覆われて非常に暗くなっておりますが、昔日本の山は明るかったわけです。そこに黒谷に高台がありまして、そこは太陽が燦々と当たって、しかも西日が沈んでいく。夕日が西の山に沈んでいく。それを見るのに恰好の場所であったということを発見しましてね。毎日のようにお天気の好い日は真っ赤な夕日を見ておられたと思うんですよ。そこに西方浄土の阿弥陀のイメージと重なり合っていくわけですね。京都のお寺には「山越阿弥陀図(やまごしのあみだず)」という非常に美しい絵がございますけれども、それをちょっと見てみましょう。これは永観堂(えいかんどう)の禅林寺(ぜんりんじ)にある素晴らしい「山越阿弥陀図(画像)」ですけども、これはまさに西の山に沈まんとする夕日の姿ですよ。それを法然さんは阿弥陀のイメージと重ね合わせて見ておられた。そこにまさにバシュラールのいう「物質的想像力」が、法然さんの体の中に動いていた、と。ですから単に浄土経典をたくさんお読みになって「専修念仏(ぜんじゅねんぶつ)」という信仰を確立されたわけではなしに、勿論下地には学問がありますが、普段のお念仏という行と自然の風景、そういうものが融合されて法然オリジナルのお念仏が誕生したんじゃないかなと思っているわけです。
―― しかも法然が住んでいたところが、実はお話のように明るかった、というところに何か意味がありそうですね。
町田: そうですね。法然さんのお生まれになった場所からずっと晩年まで今辿って歩いているんですが、大凡山の中腹の日当たりの良い、見晴の良い場所でお過ごしになったですね。それはまさに彼のメンタリティに大きな影響を及ぼしている筈です。で、ここからまた話がもう少し奥へ入っていきたいんですが、イマジネーション(想像力)というものがどこからくるか、といえば、表面的な意識からこないんです。表面的な意識からくる想像力は、先ほど言った「形式的想像力」ですよね。「チューリップを想像しましょう。子犬を想像しましょう」と、意識ですから。そうじゃなしに自分の無意識から出てくる想像力、これがもっともパワフルなわけですね。で、その「無意識」というものは、これはフロイドという人が最初に理論化したものですけれども、普通は非常に恐ろしいものと思われているわけです。人間のいろんな精神疾患は無意識からくる、と。そのように言われてきたわけですが、実は無意識を抑圧しなければ、無意識を解放するというか、意識と無意識の風通しをよくすれば非常にポジティブ(positive:積極的な)でクリエーティブ(creative:創造的・独創的)な力を発揮するもんなんですね。
―― 「無意識を抑圧しなければ」とは、どういうことですか。
町田: 以前に、「否定的記憶」という言葉を遣いましたけれども、我々は生まれてからこの方いろんなことを体験しています。良いことも悪いことも。特に悪いことというか、悲しい否定的な体験が黒い記憶となってヘドロのように私たちの心の底に溜まっている。
―― 無意識の底に溜まっているということですか。
町田: そうですね。言ってみれば、無意識が生ゴミのゴミ箱になるわけですよ。いろんな記憶を押し込めてしまっているから。
―― 嫌なものはみんなそこに押し込めているという。
町田: そうです。意識から離して無意識に放り込んで忘れたいわけです。ところがそこから悪臭が出てくるわけです。その悪臭が私たちの日常の生活を邪魔するわけですね。私たちの意識を妨げるわけですね。私たちはみんな幸せで明るくて親切で、愛情豊かに生きたいんですけど、それができない。それは私たちが無意識を抑圧しているからなんですね。その無意識をもっとも直接的に見つめた宗教家のお一人が親鸞さんじゃないか、と私は思っているんです。親鸞さんに有名なお言葉がありますよね。「心は蛇蠍(じゃかち)のごとくなり」と。自分の心は蛇とか蠍(さそり)のようなものである、と。表面的にはいろいろ繕っているけれども、それはあくまでエゴの繕いであって、心の正体は蛇であり蠍である、というふうに言い切っておられるんですよね。
―― それをこんなふうな言い方で言っているんですが、
悪性さらにやめがたし、こころは蛇蠍(じゃかち)のごとくなり、修善(しゅぜん)も雑毒(ぞうどく)なるゆへに虚仮(こけ)の行とぞなづけたる。
町田: そうですね。自分の悪い性格というのは止められない、と。蛇や蠍のようなものである、と。どんなにいいことをしても、エゴという毒が入っているから、それはもう見せかけにしか過ぎない、とおっしゃっているわけですよ。ここまで深い自己の内省というか、仏教的にいえば深い懺悔ですよね。それがあったからこそ、弥陀の本願に一心にすがる親鸞さん独特の念仏の世界が開けてきた、と思うんですよ。暗いものをご覧になったから、阿弥陀様の明るさが眩しいほど入ってきた。親鸞さんのお言葉には、「光」という言葉がたくさんございますけれども、それはまさに自分の中の蛇と蠍を見つめた人のお言葉じゃないかと思うんですけども、前回取り上げた法然さんの「一枚起請文」もそういうことなんですよ。自分を本当に見つめて、自分の醜さとか小ささとか、そういうものに気が付いたもののお念仏、それで私たちは救われていくというのが「一枚起請文」の精神だと思うんです。無意識の方に話を戻しますと、実は近代人だけじゃなくって、昔の人もそういう心の深い層に気が付いていて、「無意識」という言葉は遣わなかったけれども、「見るなの座敷」という、神話とか民話のモチーフですけどね。
―― 見てはいけないという意味の「見るな」ですね。
町田: そうです。見てはいけませんよ、と。「鶴の恩返し」のお話がありますけれども、鶴が恩返しするために、これからこちらの部屋に入るので覗かないでください、と。鶴は自分の羽根を取って機を織っていくわけですが、世界中の「見るなの座敷」の物語を見ていくと、蛇になっていたり、恐ろしい何か幽霊のようになっていたり、まあ美しい女性が動物になるというパターンが多いんですけれども、まさにこの見てはいけませんよという、「座敷」というのは人間の無意識のことなんですよ。ですから古代からそれに対する気付きはあったわけですが、それが近代になって、ユング心理学では、フロイトが言った無意識が、「個人無意識」と「普遍無意識」というふうに分けられて、個人レベルでも非常に深い意識があり、さらに個人というレベルを超えて、民族とか国家とか、あるいは人類とか、そういうレベルの共有する無意識がある、というのが「普遍無意識」という考えなんですけれども、これを見つめるというのは不可能に近いことなんですけども、部分的に無意識と対話をするのが現代の心理療法ですよね。私たち「トラウマがある」とか言いますけれども、まさに「トラウマ」というのは無意識のレベルに入って心の傷のことですよね。それを見つめましょう、というのがサイコセラピー(psychotherapy:心理療法)ですね。それでだんだん自分の中の無意識と対話をすることによって、私たちは精神のバランスを取り戻すことができるわけですよ。
―― 先ほどの親鸞の言葉に関連していえば、そうやって無意識の世界と向き合えば向き合うほど、親鸞の言葉のように、自分を責め苛んでしまう、ということに繋がっていきませんか。でもそれがないとダメなんですか。
町田: そうです。そのプロセスでは返って心理療法なんか受ければ落ち込みます。プロセスとしては。そこから復活してこなければいかんわけですが、仏教の方でも「唯識学」というものがありますが、これは仏教の心理学のことです。唯識ではユングが言った「個人無意識」は「末那識(まなしき)」と呼ばれています。これは自我―人間の我の核心にある意識ですね。「末那識(まなしき)」と言います。そしてさらに深い人間のもっとも深刻な迷いというか、無明(むみょう)というか、煩悩ですよね。これを「阿頼耶識(あらやしき)」と呼んでいます。人間の意識を八つに分けるものですから、「阿頼耶識(あらやしき)」は「第八識」とも呼ばれているんですが、これがあるが故に我々はカルマ(業)から逃れられないし、同じ過ちを繰り返してしまうし、不幸な道を図らずも歩んでしまう、と。この「阿頼耶識(あらやしき)」があるが故に人間は救われない、と。こういうふうに仏教の唯識では言うわけですが、ただそこには救いがありまして、ユングの場合は無意識と意識の統合(インテグレーション:integration)というんですね。その意識と無意識の対話を繰り返すことによって精神のバランスが回復されて、人格がだんだん円熟してくる、というふうにいうんですけれども、仏教の方では、さっきの非常に厄介な煩悩の泉である「阿頼耶識」が、あることを契機に「大円鏡智(だいえんきょうち)」に変わるというんですね。「大円鏡智」というのは大きな円い円かな鏡のような智慧という。お悟りの意識ですよ。もっとも厄介などす黒い否定的記憶が光り輝く悟りの智慧になるというわけですよ。これが唯識の面白いところですね。法然さんの場合は、それをお念仏でやってのけたわけですね。
―― 無意識と、それから意識の風通しを良くするとおっしゃいましたよね。それは法然の生き方、法然の教えと照らし合わせて考えていくと、法然の場合―勿論「無意識」という言葉は当然無いわけですけれども、それはどういうふうな形になって現れてきているわけですか、法然の場合には。
町田: 法然さんは、何度もお話していますけれども、幼少の折、父親が殺されたことからさまざまな人生の辛酸を嘗めておられますね。いやほど人間の悪性(あくせい)を、蛇蠍(じゃかち)の如き悪性を見ておられて、そこから念仏の光を当てていかれるわけですよ。そこで意識と無意識の対話というのが成り立っていったし、唯識的にいえば、「阿頼耶識」が大円鏡智に変容を遂げていった、と思うんです。もう一つユングの重要な概念に、「能動的想像力」という言葉―能動的(アクティブ)な想像力(イマジネーション)ですね。そういう考えがあるんですけれども、私たちもたまにそういうことが体験されることがあります。それは夜寝ている時に見る夢が、昨晩見た夢と今日の晩見た夢が連続するようなことがあるんですね、夢のストーリーが。それは一種「能動的想像力」が動いていると考えていいんですが、これは小説を書かれる作家の方とか、まあ芸術家が一般に無意識に使っていることですが、どんどん自己増殖していく。膨らんでいく―イマジネーションがですね。自分で何かを想像しよう。イマージンしようと思わなくても、どんどん自分の中に膨らんでいくイメージ。これをユングは「能動的想像力」と呼んだわけですけれども、法然の場合はまさに「ナムアミダブツ」という声を出すことによって、そこに阿弥陀が現れ、浄土の光景が現れ、止まらなくなっているわけですから、これはまさに法然さんの場合、「能動的想像力」が非常に活発に動いていたように思うんですね。
―― それが「念仏を称える声の力」ということなんですか。
町田: そうなんです。まさにここに、私たちが、法然さんから学び取るべきポイントがある、と思うんです。というのは現代人というのは、非常に情報過多で、言ってみれば私たちの思考方法というか、思考パターンがデジタル化されてしまって、なかなか生き生きとしたヴィジョンを描けなくなっているわけですよ。もう常に理屈とか知識で、分析はするんだけれども、アクティブ(能動的想像力)を使ってこの現実を超えるイメージを作るという能力を―持っていないことはないんですが、きっとあるんですが―それを麻痺させてしまっている。私は時々「イメージ貧乏」という言葉を遣ったりするんですが、私たち現代人は、この情報化時代に生きているが故に、頭でっかちになって、身体性というものを忘れてしまって、バシュラールが言ったように自然から刺激を受けて、逞しき想像力、そういうものを持てなくなっている。だから「イメージ貧乏」という言葉を遣うわけですけれども、これから日本も変わっていかなければいけない。政治的にも社会的にも文化的にも大いに変わっていくべき歴史の節目にあると思うんですが、これは知識だけではできないことです。一人でも多くの国民がパワフルな想像力―「物質的想像力」といっても、「能動的想像力」といってもいいんですが、そういうものを手に入れた時、どんどん新しい芸術が生まれるだろうし、新しいビジネスのやり方、あるいは新しい政治のやり方、社会制度も変わります。だから今法然さんを学ぶということの重大さは、まさにここにあるわけですよ。お念仏がどうだったとか、浄土信仰がどうだったか、というんじゃなしに、彼にとって声の力はなんだったか、と。それもまさに想像力を育てる力があったんじゃないかな、ということを、私は強く感じているわけです。
―― 法然にあっては、想像力を育てる一つの力として、さっき言われた、例えば黒谷、比叡山時代の夕日が見えるところに住んでいて、毎日その夕日を見ていた。そういう自然に触発されたというか、自然から受けたその力(パワー)がもの凄く大事だ、ということ、一つはそういうことなんですね。
町田: そうなんです。今地球環境のことが、その保護が喧しく叫ばれていますけれども、それは単に自然を守るということではなしに、実は自然環境を守るということは、私たちの人間性を育てるということにも直接的に関わってくるんですね。ですから我々がどんどん環境破壊していけば、それだけ生きた真実な自然の刺激が少なくなるわけですから、例えば比叡山なら、今頂上に非常に人工的な展望台があったり、ドライブウエイがあったりしますよね。昔の比叡山はほんとに豊かな森に覆われていたと思うんですよ。そこで歴代の法然さんだけじゃなしに、親鸞さん、日蓮さん、道元さん、栄西と、そういうきら星の如く宗教家が排出した山が比叡山ですよね。それはまさに延暦寺に天台教学という膨大な知識の系譜が伝わっていたということと、比叡山という非常に豊かな自然環境が彼らの思考を非常によい形で刺激して、独創的な発想力を彼らの中に培ったんじゃないか、と。そのように思えば、私たちが今日本の国土の―日本だけじゃなしに、いろいろ海外でも環境破壊していますけれども、そのしっぺ返しがあって、私たちのイマジネーション(想像力)が衰えてくる。その辺に私は深刻な懸念を抱いています。
―― 今日のこの番組のテーマは「現実を超える力」ということだったんですが、つまり超える力を持つためというか、超える力そのものが想像力にあるんだ、ということになるわけですか。
町田: そうですね。それには体を鍛えて、大きな声を出して、大いに自然と馴染んで、忙しい生活であっても自分を常に自然に曝して、知識というのは非常に大事なんですけれども、それにある意味火を点けるというか、知識というのは薪みたいなもので、それに火を点けてこそ明るい灯火になるわけです。その火を点けるのがまさにイマジネーションですから、ほんとに私たちは都会に暮らしていますけれども、もっともっと自然に近づいていって、本来の強いイマジネーションを手に入れた時、私たちの日常の生活も変わるし、社会も変わるし、国も変わっていく、と。そのように法然さんを出発点として、私はそのように考えるようになったわけです。
―― それで町田さんはカヤックで漕ぎ出すわけですね。
町田: 私は外で遊ぶのが大好きで、山に登ったり海に潜ったり、少しでも時間があったら自然の中で戯れるようにしています。
―― これで前半の六回を終わって、次回は七回目に入るわけですね。後半また楽しみにさせて頂きます。どうもありがとうございました。
町田: こちらこそ。
これは、平成二十一年九月十九日に、NHK教育テレビの「こころの時代」で放映されたものである