東京外国語大学教授 町田宗風
ききて 草柳隆三アナウンサー
―― 「法然を語る」の五回目になりました。これまでのお話では法然の念仏というのは、単なる口先だけの念仏ではなくて、法然の深い宗教体験の裏付けがあったのだ、ということだったわけですが、それでは今回は然らば法然の念仏の内容というのは一体どういうことであったのか。さらに深く入ってお話を伺っていくことに致します。いつものように広島大学大学院教授の町田宗鳳さんです。よろしくお願い致します。
町田: こちらこそお願いします。
―― 前回までは、特に前回では、法然の念仏、つまり法然が、浄土はたしかにあるということを確信したんだ、という話までいきましたですね。
町田: そうですね。定善観(じょうぜんかん)と呼ばれる非常に意識集中的な念仏―一日に六万遍あるいは七万遍もお念仏を称えることによって、非常に深い意識に入って、浄土の光景を段階的にリアルに見るという、そういう宗教体験を重ねておられまして、そこで念仏がたしかに人を浄土に導くということを確信されたわけですね。
―― その念仏が、いわゆる口先だけの念仏ではなくて、称名念仏(しょうみょうねんぶつ)―称名という言葉が出てきましたですね。
町田: そうですね。法然さんは、「声の力」その凄さを知っておられた宗教家だ、と思うんですよ。ご自身は比叡山の中で非常にイメージを大切にする念仏を重ねておられたんですけども、だんだんお立場を変えられて、そんなに難しい技術の要る念仏は要らない。もう淡々と阿弥陀仏を信じて、声に出す称名念仏だけでよいという、そういう立場に変えられた。定善観(じょうぜんかん)―それは観相念仏とも言うんですけれども―天台宗で伝統的に営まれていた念仏から、そういう技術を要求しない非常にシンプルな称名念仏でよいという立場に、まあある意味で百八十度態度を変えられたようなところがあるんですよ。
―― 今言われた「観相」というのは、いわば「観念」というふうに言い換えてもいいんでしょうか。
町田: そうですね。浄土経典に記されている浄土の光景、阿弥陀仏の姿を深い瞑想の中で見ていくという、そこに力点を置いた念仏。それを叡山のお坊さんたち、あるいはそこに集う貴族たちも、それを目指して念仏に励んでいたわけですが、そういう技巧は要らない、と。本当に無心無我で弥陀の本願を信じて、淡々と「ナムアミダブツ」と称える念仏のほうが本物である、ということをおっしゃったわけですよ。
―― 何故法然がそこに至ったのか、ということを、今日お話を伺っていくわけですが、今日は読むものがたくさんありますので、最初の文章を見ていきたいと思うんですが、
人の手により物をえんずるには、すでに得たらんと、いまだに得ざるといづれか勝(まさる)べき。源空(げんくう)はすでに得たる心地にて念仏は申(もうす)なり。
(『つねに仰せられける御詞』)
―― これはどういうことを言っているんですか。
町田: 人様から物を頂く時、もう既に頂いたと確信して称える念仏と、これから頂くんだというどこか不安が残っている念仏と、どちらが勝れているんですか、というふうにまず問い掛けて、私(源空)は、常に阿弥陀仏から救いというものを百パーセント頂いた、と。もう現実に頂いたものとして「ナムアミダブツ」と称えていますよ、と。浄土というものがあるのか、ないのか。念仏を称えれば、救われるのか、救われないのか、という疑いの心を一切持たずして、もうそれは確実に実在するし、確実に自分はそこに救い取られていくんだ、という思いで、私(源空)は、「ナムアミダブツ」を称えていますよ、というお言葉です。
―― つまり「約束をしてください」というんじゃなくて、「もう既に約束をされている」ということですか。
町田: そうなんですね。面白いことにイエス・キリストも、聖書の中に、「祈りを求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる」と、「マルコによる福音書」にそういう言葉が記されているんですが、キリスト教の方でも同じような教えがございまして、「祈る時はそれは必ず実現するんである、という確信、安心感を持って祈りなさい」と、イエスが言ったわけですけれども、それと同じことを先ほどの法然のお言葉でも記されているわけですね。
―― 先ほど百八十度の転換だとおっしゃいましたよね。
町田: ええ。
―― そうすると、例えばまだ叡山にいた頃は、相当旧来の勢力と大変な対立があったんでしょうね。
町田: そうですね。当時法然さんは黒谷におられたわけですけれども、そこは別所として集中的な念仏の道場だったわけですから、そこで営まれていたのは観相念仏だったわけですから、そこで若い法然が、「称名念仏で十分です。観相念仏というような難しい、誰でも参加できるわけでもない技術的な念仏は要らない」と言った時、当然のことながら物議を醸すことがあったと思いますね。師匠とも相当やり合ったというエピソードが伝わっていますね。お師匠さんの叡空(えいくう)とおっしゃる方と、「観相が良いのか。称名が良いのか」ということで口喧嘩をしておられまして、当然師匠の言うことに譲らなければいけないんですが、法然さんの方はまったく譲ることなく、「いや、お師匠さん、それは違いますよ。観相よりも称名念仏の方が勝れているんですよ」と言い切ったものですから、叡空の方が怒り出しまして、近くにあったものだと思いますが、木枕―木でできた枕で法然を叩いたというわけです。よっぽどお師匠の叡空も頭にきたんでしょうね。どうして弟子のお前が俺の言うことを聞かないのか、と。でも法然は毅然として、「称名だけで十分です」と言い続けるもんですから、今度は叡空の方が、「私の師匠の良忍(りょうにん)でも称名よりも観相が勝れていると。一代前からそういう教えがちゃんと伝わっているのに、弟子のお前が何故そういうことを言うのか」と、念を押したら、さらに法然さんは、「良忍上人とおっしゃる方は早く生まれ過ぎて、称名念仏の良さがわからなかっただけだ」ということを言ったもんだから、余計に叡空は怒り出しまして、今度は履いていた草履を脱いで、法然を叩いたというわけですからね。まあ非常にリアルで生々しいエピソードですけれどね。我々普通法然さんというのは非常に温厚な方というイメージで捉えていますけれども、修行中の法然さんには非常に激しくて頑(かたく)ななものがあったという一面を伝えるエピソードとして非常に面白いと思います。
―― ほんとに激しい一面があったわけですね。
町田: そうですね。それほど師匠と雖も一歩も譲れないという宗教的な確信を、もう既に黒谷におられる時にお持ちになっていたということですよ。決して叡山から下りて、専修(せんじゅう)念仏を新たに始められたというよりも、もう山にいる時から声に出して淡々と称えるお念仏のその力強さというものに相当自信を持っておられたように思います。
―― その自信がまたこういう言葉にもなって表れているわけで、その次を見てみたいんですが、
煩悩のうすくあつきをもかへりみず、罪障のかろきをもきをも沙汰せず、ただ口にナムアミダブツ(なむあみだぶつ)と唱(とな)へて、声につきて決定(けつじょう)往生のおもひをなすべし。
(『つねに仰せられける御詞』)
町田: これは念仏をする時は、まったく条件が問われないということですよ。それまでの奈良・平安の仏教はいろいろ条件付けをして、修行者の資質を厳しく問うていたわけですよ。それは倫理的な資質、霊的な資質、あるいはその人の生活態度とか、そういうことを厳しく問い掛けたわけですが、ここではあなたの煩悩のボリューム―うすくあつきということはそういうことですけれども、どれだけ悩み事があってもなかっても、それは関係ないんだ、と。どれだけ罪が深くても浅くても、それも問わない、と。ただ口に物理的に「ナムアミダブツ」と、そこに心に置いている限り、その声の中で必ず往生していくんだ、と信じて称えなさい、というふうに、ここでは問うておられるわけですね。私は法然さんのことを、時々「思想のアクロバットを演ずる人だ」と言っているんです。まあこういう発想は、法然以降は当たり前になるというか、広がってくるわけですが、このように無条件の修行、あるいは無条件のお念仏というのは、それまでにあまり存在していなかったわけですよ。仏教からいろんな条件付けを取り外して、誰でも参加できる教えにしていった、ということですね。法然さんが一種の思想のアクロバットを演じた、ということを思わせるお言葉ですね。それまでの宗教家が発想しなかったような考えです。お寺にどれだけ寄付をしたかとか、どれだけ戒律を守ったか、どれほど忠実に三宝(さんぼう)を敬ってきたかとか、いろんな条件があったのに、そういうことはどうでもよい、と。あなたが思想の深い人であるかどうか。あなたが罪の深い人であるかどうか。そんなことは関係ないんだ、と。今ここに私と一緒に「ナムアミダブツ」と言っただけで、確実に御浄土に行けますよ、と。しかも何度も言っておりますが、周りは戦乱とか飢餓で大変世の中が乱れていて、多くの人が次々と亡くなっていくような社会状況の中で、「いいんだと、あなたのことは。あなたの性格は問わない。今、私と一緒にナムアミダブツと言いましょう。そうすれば必ず阿弥陀さんが迎えに来てくださるんだ。それを疑うな」ということをこの言葉でおっしゃっているわけですから、これを法然さんから面と向かって言われた人は、ほんとに嬉しかったでしょうね。こちらに疑いがないわけですから、その疑いのない心で面と向かって言われたら、そうかと思うでしょうね。
―― 資格審査を受けなくてもいいわけですからね。
町田: そうそう。まったくそういう審査はないんですよ。
―― 今紹介した二つの言葉というのは、これは法然さんが折に触れて語った言葉でしょう。ご自身が書かれたもんじゃないわけですね。
町田: ええ。書かれたものは、最後の最後に残された『一枚起請文(いちまいきしょうもん)』これしかありませんですね。
―― それにはほとんど法然が言いたいことが集約されているわけですか。
町田: そうなんですよ。非常に短い一枚の紙切れに記されているお言葉ですが、これは西洋の哲学者が束になってかかってきても破れないぐらい、深くて重いメッセージがあるように思うんです。
―― そうですか。じゃ、それをじっくり読んでみたいと思うんです。
もろこしわか朝(ちょう)にも、もろもろの智者たちの沙汰し申さるる、観念の念にもあらす、又学問をして念の心をさとりて申す念仏にもあらす、たた往生極楽のためには、ナムアミダブツと申して、うたかひなく、往生するそとおもひとりて、申すほかには別の子細候(そうら)はす。(中略)念仏を信せん人は、たとひ一代の御(み)のりをよくよく学すとも、一文不知(いちもんふち)の愚鈍の身になして、尼入道(あまにゅうどう)の無智のともからにおなしくして、智者のふるまひをせすして、たた一向(いっこう)に念仏すへし。
―― 途中ちょっと省略をしたんですけれども、短い文章ですね。
町田: そうですね。法然上人の直筆の書というのはこれしかないわけです。最晩年臨終間近にして残されたお言葉ですけれども、法然さんが八十年かけて積まれた人生の体験と叡山で積まれた膨大な知識の量と、そして定善観初めもろもろの宗教体験、すべてが凝縮されて、この一枚に表れているわけですよ。
―― もう一度順番にまた教えてください。
町田: 「もろこし」というのは中国のことですね。中国にも「わが朝にも」日本にもいろんな学僧がいて思想を語ってきましたけれども、そういう観念の思想ではなくて、あるいは学問を積んで理解した念仏でもなくて、ただ極楽往生するためにはナムアミダブツだけで良いんだ、と。そこに一切の疑いの心を差し挟むことなく、必ず往生するぞ、という確信のもとに、この六字の名号を称える以外に、なんら細かな取り決めはありません、と。それがこれまでのお言葉ですね。そして次を見てみましょうか。念仏を信ずる人は、たとい一生かけて仏教の教え・思想を深く学問してきたとしても、そういうものを全部忘れて、「一文不知の愚鈍の身になして」ということですから、まったく文字も読めないような、もう空っぽになってお念仏を称えましょう、と。「尼入道の無智のともがらにおなじくして」というのは当時いろいろ世の中がひっくり返っていましたから、急ににわかに出家をしたような人が多かったでしょうね、庶民の中で。そういう人たちは文字が読めない人も多かった筈ですから、その人たちと、自分はどれだけ膨大な学問を積んでも、全部それを脇に置いて、まったくトルストイの民話に出てくる「イワンのばか」のようになって、心空(むな)しくして、「智者のふるまひをせすして」と、決して賢(かしこ)ぶらず偉そうな顔もせず、淡々と念仏をしなさいという、それだけのことです。でも先ほど申しましたように、ここの背景には法然八十年の人生体験と宗教体験と学問があるわけですから、私はこれは法然の人生の最期に滴り落ちてきた甘露の水の一滴と、非常に甘いジュースですよ。その一滴に相当するぐらいのお言葉だと思っているんですよ。
―― もう一度聞きますけれども、この一枚起請文の心はどこにありますか。
町田: 単純であることが救いに繋がるということですよ。法然さん自身が一種の天才だと思うんだけども、非常に深くて難しいことを常にシンプルに表現するお力をお持ちだった凄い表現者だと思うんですが、そのようなシンプルな表現力をお持ちだったということは、彼の人生観自身が実はシンプルだったんですよ。ナムアミダブツだけで必ず此岸(しがん)から彼岸(ひがん)に行ける、と。ナムアミダブツの橋を必ず渡って行けば、そこでは阿弥陀仏が待っておられる、と。それしか説かれなかったわけですが、あらゆる経典を―一切経を五回も読んだと言われている。そして南都北嶺の学僧たちを訪ねて歩いて、浄土思想だけでなくて、おそらくは華厳経、あるいは唯識の知識もお持ちだったと思うんだけども、そういうものを全部飲み込んだ上で心空しくして、刻々の瞬間にナムアミダブツと仏の救いを喜んでいきましょう、とおっしゃっているわけですから、simple is best というか、非常に分かり易い方ですね。
―― 結局辿り着いたのがそこだったわけですか。
町田: ええ。私は冒頭に申しましたけれども、法然さんというのは念仏の声ですね。「声の力」その実力を確信しておられたと思うんですよ。今日のテーマの一つは、私は「念仏を科学する」という立場から切り込んでみたいと思っているんですけれども。
―― 念仏を称える時の声ですか。
町田: そうですね。声は非常に現代科学の視点から見ても、非常に奥が深いものです。私自身は、常々「声は思索よりも深い」というふうに考えているんですよ。我々が頭で一生懸命ものを考えますが、難しい哲学書を読んで考えることもありますが、実は「声そのものに私たちの思索を深める力がある」と。それは私個人的にも感じておりますし、法然さんも非常に面白いことをおっしゃっていますよ。「念声一致(ねんせいいっち)」という立場からそのお言葉を見てみましょうか。
―― 「念」というのはまさに「思い」ですよね。
町田: そうですね。これは「人間の思い」というよりも「仏の思い」と思った方がいいかも知れません。
念声はこれ一なり。何をもつてか知ることを得(う)。観経(かんぎょう)の下品下生(げぼんげしょう)に云く、「声をして絶えざらしめて、十念(じゅうねん)を具足して、ナムアミダブツを称せば、仏の名を称するが故に、念々の中において八十億劫(おくこう)の生死(しょうじ)の罪を除く」と。今この文によるに、声はこれ念なり、念は則ちこれ声なり。その意明(あき)らけし。
(『選択集』)
町田: 先ほど申しましたように、この場合「念」というのは「仏の思い。弥陀の本願」と思えばいいんですが、私たちが声を発生した時、そこにはもう既に仏が現れている、ということなんですよ。何故そういうことがわかるかというと、観経(かんぎょう)―観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)にこういうふうに書いてあります、と。これを絶えることなく、十念を称えていけば―ナムアミダブツと声に出していけば、その声の中に仏が現れて、過去劫来私たちは輪廻を繰り返してきたわけだけども、そのカルマ(業)の罪を解くことができるんだ、と。そう書いてありますよ、と。だから私は、「声はこれ念仏なり、念は則ちこれ声なり」と、そのように確信するようになったんです、ということですが、これを読んだから確信したわけでなくて、私はやっぱり法然さんというのは、定善観―ビジュアルに浄土の光景を十三の段階に分けて見ていくというお念仏ですよね―そういう念仏もして、また称名念仏もして、その上で念と声が一つである、という思いに至られたと思うんですよ。そして以前私は、「否定的記憶」という言葉を遣ったことがありますが、まさにみんな心の奥底に無意識、近代心理学的に言えば、個人無意識とか普遍無意識のずっと深いところに、否定的記憶を抱え込んでいるけれども、この「声の力」はそれを消していく、お掃除する力があるんだという思いに体験的に到達されていたと思うんですよ。で、弘法大師空海に「三密加持(さんみつかじ)」という考えがありまして、人間の「身・口・意」身体と口と意識を使って密教では解脱していくんだ、と。空海の立場では、日本仏教には天台や真言のような密教と鎌倉以降に出てくる顕教(けんきょう)―割合分かり易い仏教の流れ―顕教と密教があるけれども、密教の方が遙かに勝れているというお立場をお取りになっていたのが弘法大師なんですね。それは真言を称えるとか、護摩を焚くとか、瞑想するとか、いろいろ方法論が確立されている、仏教の方に。それで「法身説法(ほっしんせっぽう)」という言葉があるんですが、究極的な仏の教えを理解することができるのは密教だけである、と。そのように弘法大師空海はお考えになっていたわけですけれども、私はこの法然さんの念仏の深さを見ていくと、顕教とか密教とかの区別が意味をなさなくなってくるほど本質をついているものがあるように思うんですね。私は、法然さんのお言葉でも好きなものが、「心の底から真実にうらうらと、少しの疑いの心を持たずに念仏しなさい」というお言葉があるんですが、私は大好きなんですよ。おそらく法然さんは、お念仏を本当に楽しんでおられたと思うんですね。最初は救われたいとか、死の恐怖から逃れたいとか、そして浄土の実在、阿弥陀の実在を目の当たりにしてみたいとか、そういう思いが強かったと思うんですが、だんだんお歳を重ねるに連れて、もうそういうことはいい、と。目的的な念仏はいい、と。救われるとか、何かを見るとか、聞くとか、そういう念仏はいい、と。念仏自体が楽しいという境地にまで至っておられたから、「真実にうらうら」という言葉が出てきたんだと思いますよ。
―― 「声は思想を超えている」というような意味のことをさっきおっしゃいましたよね。声にどうしてそういう力があるというふうに、法然は確信していったんでしょうか。
町田: それは何十年も念仏を称えていたわけですから、その間にいろんな不思議な体験もあったでしょうし、それによって実際に悲しみを喜びに転換していくような場面もあったでしょうし、それは実地の体験からそういう確信に至られたと思うんですが、私は、「声の力」というものを、もう少し科学的に、なんか念仏というのは無理矢理にお経に書いてある救いの教えを信じて称えるものだとは思っていないんですよ。実はお念仏に対して何の理解のない人も、別にお念仏でなくてもいいんですよ、「ナムアミダブツ」じゃなくても「南無妙法蓮華経」でもいいんですが、単純な言葉を繰り返し称えていくうちに、非常に意識の深い層に入っていくことができる、と。そのようなことは私自身のオリジナルな宗派を超えて誰でもできるような念仏―感謝念仏と言いまして、「ありがとう」というそのうちの「ありがとう」の「アリガト」という四音を腹式呼吸―深い長い腹式呼吸に合わせて発声するという瞑想法をやっていましてね。これは私は、「ボイスメディテーション(音声による瞑想)」と呼んでいるんですけれども、黙って坐禅をするよりも遙かに雑念が入りにくくって、坐禅をしたことがない人も短時間のうちに三昧(さんまい)に入れる、ということを発見してきましたので、だから空海の真言への確信、法然の念仏への確信、あるいは日蓮さんの御題目への確信、そういうものは理屈でなくって、私自身も実証してきたというか、何故かというと、我々の聴覚は普通二十キロヘルツの周波数の音しかキャッチできないんですが、実は自然の中に入ると、風の音とか、水のせせらぎとか、動物の声とか、いろんなものが混ざって、森の中などでは百キロヘルツ以上の高周波音が出ている、と。これは専門家の研究で証明されているわけですけれども、これが実は凄い癒しの力になるんですよ。癒しというのはムードでいうんじゃなくって、実際にそういう音に触れた場合、我々の聴覚に聞こえていなくても、脳幹―脳の基幹部にそういう高周波の振動が伝わるわけで、もう少し科学的に言えば、脳内物質ドーパミンとかβエンドルフィンというものが出てきまして、でリラックスしてくるわけですよ。ですからお念仏を称えている時の境地と、ちょっとお酒を一杯飲んだ、あるいはお風呂に浸かって良い気持ちになった、そういう意識の状態とほとんど区別がないんですよ。ですから声を出すとリラックスするし、いろんな不安とか恐怖がはずれてきますし、また健康にも繋がってくるというふうに思うんですよ。そういうことは法然さんは十分に承知のうえで―当時はそういう近代的な科学的な分析はなかったですけれども―体験的に念仏が人の心に良いと、あるいはひょっとしたら健康にも良いということにも気付いておられたかも知れません。
―― 現実には聞こえない音があって、その音が人間の身体に及ぼす作用というのはあるということですか。
町田: そうですね。実際に森の中だけじゃなしに、民族音楽とか、あるいは特定の楽器とか、そういうものは百キロヘルツ以上の高周波音を出していまして、それは人間に確実に作用しているわけで、これは既にデータとして証明されているんです。私の尊敬している宗教学者にミルチャ・エリアーデ(1907-1986)というシカゴ大学の先生をしておられて、実は私のアメリカの大学時代の先生の先生ですから、私、エリアーデの孫弟子になるんですが、その人にヒエロファニー(hierophany)という非常に重要な宗教学上の概念があるんです。ヒエロファニーというのは「聖体示現(せいたいじげん)」ということで、聖なる体が現れてくる場所という意味なんです。それはお経とか、あるいは儀礼、祭りもそうなんですが、あるいは聖地と呼ばれている場所、この現実にあるものなんだけれども、そこに聖なるもの、絶対的なものが現れてくる場所を聖体示現(ヒエロファニー)と、エリアーデは説明したわけですけれども、法然さんにとってはナムアミダブツという声は明らかにヒエロファニーだったと思います。そこに弥陀の本願が現れているわけですから。絶対者の救いが現れているわけですから、発声しているのは人間の肉体なんですけれども、人間の肉体の声と仏の思いが重なり合っているダルマ(ダンマ)の現れですよね。声に出ているという確信を持っておられたと思いますですよ。それとエリアーデにもう一つ大切な考え方がありまして、それは宇宙樹(コスミックピラー:cosmic pillar)というふうに言うんですけれども宇宙の柱です。宇宙の柱、それはヒマラヤのような高い山が分かり易いですけれども、あるいは塔でもいいんですよ。天と地を結ぶもの、それは神と人とを結ぶもの、そういうものがすべての宗教的伝統に存在している、と。宇宙樹のあるところが聖地とみなされたりするわけですけれども、法然さんは、お念仏をヒエロファニーであり宇宙樹である、というように感じておられたんじゃないかな、と思うんです。浄土と穢土を結ぶ宇宙樹ですね。これは大凡繋がる筈がないものを繋ぐ役割をもったもの、それを宇宙樹と呼ぶわけですけれども。
―― いわばそれは「俗」に対して片一方は「聖」でしょう。「聖」と「俗」でしょう、それが通じてしまうということなんですか。
町田: まったく通じてしまう。それは法然の場合は声において通じたわけですね。私は法然さんの偉いと思う一つの点は、彼は一切宗教的な施設に関心を示さなかった。
―― ということは、例えばお寺とか、
町田: そうです。一切自分のお寺を造ろうとしなかったわけですね。今浄土宗の本山の知恩院も、東京の増上寺も非常に立派な伽藍がありますが、あれは後世にできたものですからね。法然さんご自身は、念仏が遺跡になるんだ、と。念仏をどこで称えてくださっても、どこか海辺で称えてくださっても、山村で称えてくださっても、そこが私の聖地と思ってくれ、遺跡だと思ってくれ、と。全然弟子が、何か建物を建てましょうか、と言っても、彼もほとんど関心を示さなかった。現代の宗教家が、やたらと宗教活動というと、大きな建物を建てたがる。そのことを思えば、法然さんというのはほんとに本質を突いておられた方だなあと思いますね。今日は念仏の分析をするのが目的ですから、今度は、今までは声の音声的な話をしましたが、今度は哲学的なアプローチをしますと、西田幾多郎(きたろう)(1870-1945)―京都学派をお始めになった京都大学の先生だった方ですが、西田幾多郎に「絶対矛盾的自己同一」という彼の代表的な哲学的な概念ですが、私はこの法然さんの念仏―専修念仏を理解しようとする時、どうしても西田の「絶対矛盾の自己同一化」という概念が浮かんでくるんですよ。それは阿弥陀様と凡夫―我々ですよ―それがまったく一つである、と。一つであり得ないものです。一つは金色に輝く阿弥陀仏、こっちはほんとに煩悩の渦巻く救いのない凡夫なんだけれども、それがまったく一つになるという境涯を味わいながら、あるいは浄土と穢土、死の世界と生の世界、それが矛盾なく同一化している。それが法然のナムアミダブツだったんじゃないかな、と思うんですよ。それほど迫力のあるお念仏を称えておられたから、多くの人が自ずから集まって来られたように思うんです。で、西田にもう一つ面白い概念があるんですが、それは「逆対応」―対応が逆なんですけれども、それはどういうことかと言えば、人間が小さければ小さいほど、エゴが小さくなればなるほど神の力が大きく現れてくるという。自分を小さくすればするほど、神の救いが大きく現れてくる、というのを、西田幾多郎は禅の実践者でしたから、禅の世界で言えば、自分が無になった時に、仏法というものは如実に現れてくる、と。そういう体験から彼が生み出した言葉だと思うんです。この逆対応という概念から、親鸞さんのお言葉として有名な「悪人正機説(あくにんしょうきせつ)」も説明できる。自分がほんとに悪人だと深く懺悔自覚した時に絶対的な阿弥陀の救いが送り届けられる、ということなんですよ。話は次々とんでしまいますけれども、現在の宗教者として私が非常に尊敬しているマザー・テレサ(カトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者である。カルカッタで始まったテレサの貧しい人々のための活動は、後進の修道女たちによって全世界に広められている:1910-1997)に、「私は神の手の中にある神の鉛筆のように感じます」という言葉があります。やはり非常に小さく感じておられるんですよ。あれだけ偉大な、世界に影響を与える活動をされたマザー・テレサご自身は、自分は本当に小さいものだ、と感じてカルカッタの街を歩いておられたんですよ。そこに偉大な神の救いの手が届けられて、彼女は鉛筆のように自分を空しくして、神の力で動いておられた、ということですよ。これは先ほど引用した『一枚起請文』の生死にも繋がるものですよ。自分を小さく小さく、空しくした時に、もっとも偉大なものがもっとも直接的に現れてくる、ということなんですね。
―― 今日の、いわばキーワードの「声の力」ということなんですが、先ほどその「声の力」が「人の否定的記憶を消すものだ。消す力があるんだ」とおっしゃいましたですね。この法然が生きた時代のことを考えると、多分きっとその当時の人々の否定的記憶の中で最たるものは「死」ということじゃなかったか、と思うんですね。
町田: そうですね。その「死」についていろいろとお語りになっていますから、もう少しお言葉をみてみましょうか。
―― それではお読み致します。
乃至一念(ないしいちねん)もうたがはさるものは、十人は十人なからむまれ、百人は百人なからむまれる。念仏を修すといへとも、うたかふ心あるものはむすれざるなり。
(『念仏往生生義』)
―― どういうことを言っているんでしょうか。
町田: これもいい言葉ですよね。十人が十人ながら、百人が百人ながら極楽往生しますよ、と。その中にも性格が素直な人もいれば、決して素直でない人もいるかも知れないし、罪がある人もいるかも知れないし、そんなことは関係なく、無条件に十人が十人、百人が百人阿弥陀の世界に救い取られていくんですよ、と。ただ一つ条件があるとしたら、そこに疑いの心はもってはいけません、ということをおっしゃっているんですね。だから「信の力」なんですよ。必ず死を克服できる、と。決して地獄にも堕ちない、と。念仏を信じなさい、ということをおっしゃっているんですね。もう一つ死について非常に面白いことをおっしゃっているんで、そのお言葉も見てみましょう。
―― 疑う心を持ってはいけないと言っても、なかなか生身の人間である以上は疑いたくなるということもあるんですが、まあとにかく次へいきましょうか。
たたし人の死の縁は、かねておもふにもかなひ候はす、にはかに大ち路にて、おはる事も候。(中略)
火にやけ、水におほれて、いのちを亡すたくひおほく候へは、さやうにて死に候とも、日ころの念仏申て極楽へまいる心たにも候人ならは、息のたえん時に、阿弥陀観音勢至、来り迎へ給へしと信しおほしめすへきにて候也。
(『往生浄土用心』)
町田: 話が具体的ですよね。人はどこで死ぬかわからない、と。死というのは本当に偶然に突発的にやってくるものですから予め準備できない、と。にわかに大きな道で、現代で言えば交通事故に遭って亡くなってしまうこともあるかも知れないし、あるいは火事に遭って焼け死ぬかも知れないし、海に泳ぎに行っていて溺れてしまうかも知れないし、どのようにして人間が亡くなるかというのは、本当に千差万別で、畳の上で平和に死ねる人はむしろ少ないぐらいですよね。でも、どういう死に方をしても、病気であろうが、事故であろうが、どういう死に方をしても、日頃から念仏を称えて、自分は必ず極楽に行くんだ、と。その「信の力」を忘れないでいる限り、必ず息が絶える時に、阿弥陀様、観音菩薩、勢至菩薩がお迎えにきますよ、と。それを疑ってはいけませんよ、と。相当話が具体的ですよね。何せ都におられたわけですから、実際にいろんな形の人の死を目の当たりにしておられたと思うんですけども、飢え死にをしても、戦争で命を落とすことになっても、日頃から阿弥陀の本願を疑うことなく、宇宙の法則を疑うことなく、お念仏を称えていたら、必ずいい所に行けますよ、というふうに説いておられるんですよ。今「宇宙の法則」という言葉を遣いましたけど、法然さんは凄いと思うのは、救いの原理をほぼ物理的な法則のようにお考えになっていたようなんですよ。それはもう一つのお言葉を見てみたらわかると思うんですが。
―― じゃ、先にそれを読みましょう。
又いはく、法爾道理(ほうにどうり)といふ事あり。ほのをはそらにのぼり、みづはくだりさまにながる。菓子の中にすき物あり、あまき物あり、これらはみな法爾道理也。阿弥陀ほとけの本願は、名号(みょうごう)をもて罪悪の衆生をみちびかんとちかひ給たれば、ただ一向に念仏だにも申せば、仏の来迎(らいごう)は、法爾道理にてそなはるべきなり。
(『禅勝房伝説の詞』)
町田: ここまで具体的に念仏信仰を説明したお方はそれ以前になかったんじゃないでしょうか。「法爾道理(ほうにどうり)」というのは、今の言葉で言えば、「物理的法則」だということなんですよ。ですから、炎(火)は上に向いて燃えるし、水は下に下がっていく。お菓子の中には酸っぱいものもあれば、甘いものもある。これはみんな法則として揺るがせないもの、ニュートンの万有引力みたいな話ですよ。ですから、これは阿弥陀様が念仏を称えたものは、どれだけ罪があろうが、性格がどうであろうが、救おうとおっしゃっているんだから、もうそれを疑わずにひたすら念仏を称えていけば、仏の来迎―救われるのは間違いのないことである、と。1+1=2というぐらいはっきりしたものであって、そこに議論の余地がない、とおっしゃっているわけですよ。だから何かもう仏教離れしたぐらいのお話ですよ。何か神話があって、それを信じなさい、と言っているんじゃなしに、いや、もう「ナムアミダブツ」とおなたの口を使って発声したら、そこに仏が現れて、必ずあなたを幸せにします、と。現代人にとっては、「極楽往生」という言葉を「幸せ」と理解したらもっと身近に理解できるんじゃないでしょうか。最初に引用した、人から物を貰う時に、それをこれから貰うんだと。貰えるかなと思う不安で受け取るのと、もう既に頂いたんだ、という安心と喜びの中で称える念仏と二つありますよ、とおっしゃっていたけども、私たち現代人は「極楽往生」と言ってもピンとこないものがありますが、これを「幸福」という言葉に置き換えてみたら、もう私は必ず幸福になりますと。今がどういう状況であっても、今が大変苦しい状況であっても、私は必ず幸せになります、と。それを信じなさい、とおっしゃっているわけですよ。これは凄いことですよ。そこに一切の不安を持ち込んじゃいけません。自分に対する不安とか、自信のなさとか、それは自分に対する冒涜するからね。そういう思いを持たずに、必ず私は幸せになるんだ、という思いで日々を生きなさい、というふうにおっしゃっている、というふうに今の言葉を解釈すれば、現代人にもピッタリくる言葉のように見えてくるんです。
―― つまり法然は、例えば当時の社会情勢や背景を考えると、もうほんとに人々はみんな死と裏腹になって生きていた。死と隣り合って生きていた。そういう時に、つまり念仏を称えることによって、それが消し去られるんだ、ということを言われていたわけですね。
町田: 実は法然さんのおられた時代は平安末期で、鎌倉時代の初期ですよね。それが大変な時代だ、というふうに今まで説明してきたわけですけれども、私はいつの時代も変わらないと思っているんですよ。今平成の日本でも私たちなりの不安があるし、恐怖があるし、
―― 質が違いますけれども、
町田: そうですね。この今自分が置かれている状況の中で、ブレてはいけないということなんですよ。感情はあります。我々も落ち込んだり、悲しんだり、いろいろするわけですけれども、必ず自分は幸せになる、と。その一点だけは疑ってはいけません、というふうにおっしゃっていると思うんですよ。だから法然は思想のアクロバットをやってのけたんですよ。一切の条件を問わずに、この一点だけを見つめていきなさい、と。往生する、と。死は怖いものではない、と。決して闇の地獄に堕ちるんではない。必ず金色の阿弥陀様が両手を差し伸べてお待ちになっているんだ。それだけ思って生きなさい、と。あなたが病気であろうが、貧乏であろうが、何の不安もいらない、と。待っておられるのが金色の阿弥陀様だ、ということを繰り返し説いておられたと思うんですよ。ですから現代の私たちにとっては、今、状況的にいくつもいくつも不安の要素はあるけれども、行き着く先は人間としての幸福である、と。そこから目線をずらすことがないように、感情はいろいろ出てきます。運命もありますけれども、最後のところで自分の心を揺るがしてはいけない、というようにおっしゃっていると、法然さんの教え、言葉を解釈し直すと、ぐっと身近に法然という人物が現代の我々に迫ってくるように思うんです。
―― しかも法然の場合には、そのことを「声の力」ということで自らも示された、ということですね。「声の力」ってほんとに今日お話を伺っておりますと、凄いなと思いますね。
町田: ええ。それは誰でも実践できることですからね。以前に申しましたけれども、法然さんは非常に深くて難しいことを単純にいろんなたとい話を遣って、先ほどは炎の話とか、水の話とか、お菓子の話が出てきましたように、誰でも理解できるような非常に平明な言葉で語りうる天才的な表現者だった、という面でも、私は法然という人物の大きさに感動しますね。
―― どうもありがとうございました。
町田: ありがとうございました。
これは、平成二十一年八月十六日に、NHK教育テレビの「こころの時代」で放映されたものである